尾藤家のならわしで、子供の頃迷惑だったのが「書初め」。書いて書棚の前に掲げられるのがいやで仕方なかった…。
ところが、最近は、なんだか書初めをしないと淋しい気がするようになった。
僕の場合は、「書」ばかりでなく、「画」の描き初めも習慣になっている。
珍しく、三柳が脇にやってきて、並んでの書初めとなった。娘が興味深そうに、見ていたが、何時の間にか写真を撮っていた。
一緒にやろうというと、中学の課題の「満天の星空」を行書で書くという。こんな風にしながら、恒例行事に取り込まれていくのだろう。
出来上がったところで、三柳とポーズ。
いずれも。「柳多留250年」にちなんだ句になった。
三味線堀あたりに呉陵軒の咳 三柳
柳多留そこにあるべし人の性 一泉
ついでというか、調子に乗って、積み重ねた色紙に片端から書いてゆく。
下の作品は、三柳句、一泉画のコラボ。
川柳や要らぬものから脱いでゆく 三柳
川柳という歴史の中で生起したものも多いが、文化として、文芸として残してゆく川柳に不要なものは、この際バッサリと切り捨ててしまいたい。その真奥には、きっと江戸以来の川柳の裸の本質が輝いていることだろう。
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