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物事に囚われることは、人生において時間の浪費なのだろうか・・?
とかく箴言的に「一つの事にとらわれることなく・・」云々言われる。

理詰めで考えるとその通りだなと思ってしまうけれど・・。
TVゲーム(もはやTVゲームという表現は実態を表していないと思うのだが、所謂画面を端末で操作するゲーム、中でも個人の手の内で遊ぶアレのことである)は、

インターネットを介して別の場所の人間と同時にプレイすることが主流となっている。
アイテムをたくさん揃えていれば、ゲームの進行がスムーズになるため、
直接アイテムを販売する手法がゲーム運営会社の資金源、売り上げの中核を担っている。
同時プレイがいつしかチームプレイに変容し、自分が止めたくても、仲間の為にはなかなか止められないという状況が生まれる。
こういうゲームの場合、個人が好きな時に、息抜きのつもりでちょっと遊ぶ、という楽しみ方が出来にくい。
相手が海外に住んでいる場合、時差の関係で、どちらも生活時間を割いてプレイする場面も出てきてしまう。
だが、そんなことはどうでもよくて、面白いから、楽しいから、ずーっと続けたいと思う人にとっては、24時間、いつでも頼りになる仲間が空間に存在しているわけで、これほど幸せなことはない。
そしてゲーム運営会社も世界中から売り上げが見込めるので、みんなが幸せ、という事になる。
でも、人間は飯を食わなければならないし、排せつもしなければならない、睡眠も必要。何よりその生活を維持するために、幾ばくかの金銭が必要となる。
したがって、物理的に、24時間、365日ゲームをプレイすることは出来ない・・・のだが、

24時間、365日、誰かがゲームをプレイし続けている状況は維持されている。
その「誰か」は勿論個人ではない、決まった集団でもない。けれど現実に存在している人々である。

 

人生の意味は、生活であり、家族であり、金銭であり、社会であり、存在の目的であり・・etc
有史以来、人の「生」に対する意味付けは多様化してきた。
階層から集団、一族、血族、家族、個人と重要度の比重が変化してきた。

これからは「個人」を超えた「個集合」
個々人の人生に、目的を与える、これまでに存在した「族」を超越した集合が無数に存在する時代となる。

イソップのレンガ職人の話NASAの清掃員の話
どちらも人の「生」について考えされてくれる。

かつては「仕事」に対する「意義」であったものが、「人生」に対する「意義」となる。
これが次の時代であり、それはもう始まっている・・・と、思う。
たかが「ゲーム」と断ずることは容易いけれど、そこに新時代の「つながり方」と「意義」の芽が感じられるのである。



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