川柳作家と小説家・詩人では、人に与える印象がずいぶん違う。
これは文学論というより、私の二人の友人を見ていて感じることである。
小説を書く友人は、まずプロットを徹底的に練り、念入りに下調べをしてから書き始める。仕事でも同じだった。安易には動かず、まず構想を固める。
対して私は、動きながら考える。まず現場へ行ってみる。行けば何か見えてくるだろう、というタイプだ。
同じ職場にいた頃から、二人の仕事ぶりは実に対照的だった。
慎重さと機敏さ。戦略性と機動性。
ところが、この違いは補完的で不思議とうまく噛み合った。今になってみれば、彼が小説を書き、私が川柳を書くようになったのも、ずいぶん自然なことに思える。
では、詩人はどうか。
こちらも私とはかなり違う。
彼は組織をつくり、地域に根を張り、長い時間をかけて活動する。一方の私は、あちこちへ出掛け、その時々の場所で点のように活動する。
彼が描くのは、具象の風景画。私は抽象的な点描画。
被災後の風景を時間の流れの中で描き続ける詩人と、その瞬間の感情を釘のように打ち込もうとする川柳家。
どうやら、文学の「次元」と「時間の流れ」そのものが違うらしい。
そんな二人だが、どちらも機関誌『川柳宮城野』に寄稿してくれている。
文学への向き合い方は違っても、私にとっては大切な文芸仲間である。
ふと思う。
文学者の「体重」があるのではないか。
小説家は、プロットを積み、資料を積み、物語を積み上げる。かなり重量級だ。
詩人は、土地や記憶や時間をしっかと背負ってゆるゆる歩く。これも軽くはない。
では川柳家はどうか。
五・七・五を背負って身一つで走り出す、どうも私には、そんな姿が似合っている。
「小説家・詩人は重厚、川柳家は軽やか」
もちろん、これは完全に個人的な見解である。
さて、皆さんの周りの文学者は何キロくらいありそうか。
そして、あなた自身の文学的体重は?
ブログにはアンケート機能がないので、ぜひコメントで教えてほしい。
実際の体重は聞いていないので安心してください(笑)!
川柳の重さ尋ねて載る秤 木立時雨
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