
本来なら、参加した11月1日の国民文化祭や四万十での出来事を書くところだろう。写真は四万十の赤鉄橋だ。ほかのブロガーの方たちも書いているので、ひとまず私自身の出来事を書くことにする。一応、川柳も出てくる。
国民文化祭の日、生母が亡くなった。
仙台での句会をキャンセルして通夜に向かう。ひ孫まで集まった。遺体と一緒に納める布に、みんなで寄せ書きをする。親族は私が川柳をやっていることを知っているので、当然のように書けと言われ、川柳を一句書いた。
私にとって、生母はずっと距離を置いてきた、迷惑で面倒な人だった。ところが皮肉なことに、兄妹六人の中でも、顔も性格も音楽好きなところも、私がいちばん似てしまっている。あの世でも歌い踊りながら、周囲に迷惑を掛けているに違いない。
自分がどう感じているのか、うまく答えられない。うれしくも悲しくもない。かといって、他人だったのかと問われれば、そうでもない。
昨日の告別式では、献辞としてアコーディオンを弾いた。親族は真面目で口下手な人ばかりだ。孫だって何十人もいるはずなのに、誰も手を挙げない。頼まれれば、仕方がない。
弾きたいわけではないが、私の生演奏を聴きたい親族もいる。
焼香を済ませ、一言しゃべってからの演奏なので、あまり長くなっても迷惑だろう。「川の流れのように」を一番だけ弾いた。
これが私にできる唯一の親孝行だ。死んだからこそできる親孝行もある。
僧侶を含め、参列者を背にして弾く。拍手のない演奏も初めてだった。選曲は母の好きだった曲にしようとも考えたが、歌っていたのは真室川音頭など、葬儀には少々そぐわないものばかり。練習する時間もないし、誰もが知っている曲がいいだろうと考えた。親族には好意的に受け止めてもらえたようで、ひとまず安堵した。
長兄が声を詰まらせながら喪主の挨拶をする。
「マグロのような人だった」
そうだ。私も同じだ。
止まると酸欠になって死ぬ。だから、とにかく走り続け、あちこちにぶつかる。生母は運転でも、前進よりバックのほうが速いくらいで、よく事故を起こしていた。
そのメンタルは、私にもよく分かる。訪問先から帰るときには、もう次の家のことが気になっている。訪問した家よりも、次の家に向かおうとするバックのほうが気が急いて、事故を起こす。人に対しても無神経なことを言っては衝突する。
母に似てしまった自分に、改めて気付かされた。私もきっと、あちこちに迷惑を掛けているのだろう。
それなのに、もう次のことを考えている自分がいる。今週中に日本さかな検定を受け、納骨に立ち会い、日曜日には川柳大会に行かなければならない。
やっぱり私もマグロだ。
献辞句
極楽のダンスホールは大騒ぎ 木立時雨
Loading...


















































おはようございます
うちの母もマグロでした。激しいパッションの人でしたね。95歳で父のあとを追いましたが、本人にはまだ死ぬ気はなかったようでした。マグロの娘なのに私はメダカです。
このみさん、ありがとうございます。
享年98歳でしたが、たまたまコロナで入院したのがきっかけでガタガタになりました。
メダカの中にも何かマグロっぽいところがあるかもしれませんね。