Loading...Loading...

 今時の宴会では、ビールも瓶から生へと変化しているようである。チューハイやハイボールを飲む人も多くなり、グラスではなくジョッキが主流になりつつある。
 昭和時代の飲み会の光景は、タバコを吹かしながら、瓶ビールやお銚子で酌み交わすというのが普通のことだった。酒を飲まない女性が同席していると酌婦の役目をさせられた。これもその頃の価値観ではやらざるを得ないようなところがあった。今では、フェミニズムの観点からこういった男女の決めつけはよろしくないこととして非難されるが、当時は、みんなと飲みながら手酌するのは野暮という雰囲気があった。グラスやお猪口が空になりそうになったら、すかさず周りの誰かが注ぎ足す。気が利かない奴は、男女問わず決して褒められなかったところがあった。
 もっとも、お酌することを嫌がらない女性もいた。楽しい会話に付随する振る舞いとして、お酌することはある程度の効用があった時代だったのである。スナックで綺麗なママさんにお酌されると、少しは酒も美味しくなるというものである。
 しかし、こんな回りくどいやり方は、今はもうあまり流行らなくなったのだろう。女性は酌をしない。男の呑み助の方も始めから手酌で結構という輩が増えてきている。私もその一人である。適量を弁えようとすると、自分で注いで飲む方が健康的である。少なくとも私は、いわゆる中高年と呼ばれて些か健康に気遣う年齢になると、宴会場で一人手酌で飲むことに躊躇いは覚えなかった。
 現役時代に管理職だけの飲み会が、夏の暑気払いと冬の忘年会、それと人事異動の春の時期の歓送迎会と年3回定期的に開かれていた。ほとんど男ばかり(それも初老・高齢者)で、むさ苦しく鬱陶しい雰囲気であったが、お偉い人へお酌しに行く競争の場でもあった。不器用な私はそんなことはしたことはなかったが、すぐ上司の所へ近寄ってお酌する顔ぶれはいつも決まっていた。気遣いとは大変なことである。そういうことが嫌いな私は適当に飲んで、適当に周りと酔っていた。もちろん出された料理もきっちり食べていた。今から振り返ると、よくあんな飲み会に毎回出ていたなぁと我ながら感心する。出席しても欠席しても年会費をしっかり徴収されていたから、元を取ろうとして出向いていたのかもしれない。
 現在も、文芸関係の集まりで宴会に出ることは時々あるが、相変わらず積極的に注ぎ回るようなことはしていない。余計な愛想を振りまいてテーブルを回るようなことは今でも苦手である(10年近く前の娘の結婚披露宴では、一滴も酒を飲まず新婦側のすべてのテーブルを回ってお酌したが…)。この性格は死ぬまで治らないだろう。

ポストする LINEで送る ブックマーク
❤️ ひざポン
ありがとう!

気軽にポチっと
どうぞ(無記名)

 コンビニエンスストアが日本で本格的に流行り出したのは昭和50年代からだったと記憶しているが、私が学生時代を過ごした東京の赤羽には当初コンビニなどはなかった。大学5年生の頃に、7時から11時まで営業す... 「反コンビニ論」の続きを読む
 私が社会人になったのは昭和55年4月である。大学卒業前の就職活動(その頃は「就活」などという言葉はなかった)で、本部キャンパスにある学生課の就職コーナーへ何度も行き、新卒の求人案内の掲示板をよく眺め... 「初任給9万円」の続きを読む
 このブログも書き始めて丸4年近くになる。ネタ探しに日々苦労しているが、何とか自分なりのペースで今まで続けてこられた。当初から、パソコンに向き合って入力作業をしながら気にかけていることがある。自分の文... 「私の文体について」の続きを読む
 高齢者になったこの歳で今更言うのも何か変と思われるかもしれないが、私は専業主夫になりたいという憧れを密かに抱いていた時期があった。子供の頃から働いてお金を稼ぐことにあまり魅力を感じていなかったのであ... 「専業主夫になりたい」の続きを読む
 娘の結婚相手が関西の和歌山県出身で、結婚して以来毎年、和歌山の実家から先方のご両親が蜜柑の御歳暮を送って来てくれる。進物用の蜜柑なので実に甘い。毎年12月初旬に有り難く頂戴し、毎日1個か2個食べるよ... 「箱の蜜柑」の続きを読む
 政治資金規正法のことが、日々新聞に掲載されている。例のキックバックや還流が話題になっているからである。  私は67歳の今になって、「政治資金規正法」を「政治資金規制法」だと勝手に思い間違いしていたこ... 「政治資金規正法?政治資金規制法?」の続きを読む
Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K