厳しい冬の寒さにも哀愁が漂っているのではないか。暖かくなって後から振り返ってみるとしみじみそう感じられるものなのだと思う。
年末の慌ただしさ、正月のめでたさも過ぎると寒の入り(小寒)となる。これが少し憂鬱である。これからひと月程度、氷点下になる日が続く寒さを辛抱しなければならないのかと考えると、そのひと月の長さが重く肩にのしかかる。1月20日前後の大寒になると、寒さの折り返しを感じる。しかし立春という出口はまだ先である。
辛抱に馴れきった頃にようやく節分、立春となる。しかしまだ寒さは一向に収まっていない。でもちょっぴり嬉しい。夜明けが早くなっていることに改めて気がつくからである。7時近くまで暗かった空が、目覚めるといつの間にか明るくなっている。明け方の最低気温は相変わらず氷点下であっても気持ち的には春の気配をちょっぴり感じる。朝刊を外の新聞受けから持って来る際に太陽が既に昇っていること、朝食の支度に台所へ立った時に灯りを点けなくて済むこと、それらに気づくだけも嬉しいものである。そして、いよいよ日中の気温が少しずつ上がり始めて梅や福寿草の蕾が膨らみ、開花への準備を徐々に進めていく。春一番が吹けば、日中の風も柔らかく感じるようになる。
ここまで来ると、冬の憂鬱さとは半分おさらばしたような感覚になってくる。3月のひな祭りの頃は、偶に寒さがぶり返しても前向きになれる。炬燵やストーブを使わない日がやってくると確実に春の訪れを感じる。
以上、当たり前のことを当たり前に長々と書き連ねてきたが、春になれば春の憂愁も出てくる。木の芽時の人との別れは切ないものである。新たな年度を迎えると、それに伴う身の回りの変化も表れてくる。春の憂愁の中に入れば、振り返った冬の寒さは懐かしさ、哀愁になってくる。
こんな経験を繰り返して齢を重ねていく。一年前と違う自分、一年前と変わらない自分が毎年の春に混ざり合う。
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