第四日曜は、川柳公論社のWeb研究句会。
離れた地域の柳人に、川柳という文化の講義と参加者が提出した作品の句評を通しての文芸面での学習。
特に指導者に恵まれないと嘆くロサンゼルスの川柳家に向けて、体系的な川柳を伝えるチャンスになっている。
もちろん、日本の柳人が聞いても学びになることが多く、コロナ以降続いてきた講座は67回目。67項目の知識を得たことになるのだろう。
今日は「課題吟の考え方」について。
川柳には、江戸以来前句付けの伝統を引く「課題」による作句と、明治以降に行われるようになった雑詠、すなわち「創作」という作句景気があり、その他には慶弔吟という分野もある。
それぞれの立場と作者の考え方をベースに、具体的な課題の処理する基本的な方法論というか考え方を学んだ。
創作と課題吟を無意識のままに行っている自分に気づいた方もあり、よい契機づけになったとおもう。
「難しくなってきた・・・」などと言いながらも「川柳の面白さが解ってきた」という感想もあり、主催する側としては、嬉しい事だった。
機会があれば、第四日曜の午前10時からのWeb研究句会を覗いて見てやって欲しい。
ぜひ、一緒に川柳を考える仲間になって欲しいと思う。

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よく、「課題吟は書けるけど雑詠が苦手で」とか「雑詠は自分をそのまま描けるからいいが課題吟は、、、」とか耳にします。これらの背景には『選者がどんな抜句をするのかわからない』と言う問題が潜在的にあると思います。
ありがとうございます。
そんなこともあるでしょう。が、そういう方は、作家ではありませんね。他者に阿ねている内は、何処まで行っても真の創作者ではなく、褒められたいという「生徒」の感覚なのでしょう。
たしかに、創作が得意というかたが降りますし、創作よりも課題が好き・・・という川柳家もいらっしゃいます。でも私の周りの柳人は、阿ねているのではなく、作家的資質として、創作が巧いようで、そこには、自己との対話が出来ているように見えます。
課題が巧い方は、技巧的な・・・、別な視点で言えば、表現で言語能力が優れた方のようです。もちろん、技巧も創作も上手い作家がおります。
私は、課題吟はポンポンと出来ます。課題に応えればよいので、けっこう無責任に作れるからということと、抜けても抜けなくても、たいして問題にしないからです。課題吟は、あくまでも創作を作るトレーニングで、課題吟は、殆んど句集には使いません。もちろん、課題から良い句が生れることもまれにあります。
創作は、苦手というのではなく、時間が必要で、多作なニンゲンではありません。過去の句をあまりにも読みすぎ、自ら作る作品の新しさ、新鮮さを担保できないので、どうしても一句に時間が掛ってしまいます。
「課題吟は書けるけど雑詠が苦手で」と、異っていられる時期が、むしろ川柳は楽しいのかもしれません。与生さんも、作家として、きっと創作の方が気を揉むのではないでしょうか。