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台湾とフィリピンの間に位置するバシー海峡。大東亜戦争末期、南方に向かって航海中の船舶が、米軍の潜水艦による魚雷によって撃沈され、「魔の海峡」、「輸送船の墓場」と恐れられました。この海峡では少なくとも10万、最大で26万とも言われる多くの戦没者が眠っています。


バシー海峡を望む台湾最南端にある潮音寺は、1944年8月に玉津丸が撃沈された後、12日間の漂流の末、九死に一生を得た中嶋秀次さん(2013年10月、92歳で死去)によって、1981年にその半生と私財を投じて建立されました。今日に至るまで、台湾の人々の多大なお力添えの下、バシー海峡戦没者の慰霊施設として存在しています。

戦後70周年にあたる2015年、潮音寺にてバシー海峡戦没者慰霊祭を開催しました。以来、毎年11月に慰霊祭を執り行ない、バシー海峡に眠る戦没者を慰霊しています。

 

以上が「バシー海峡戦没者慰霊祭」の紹介文です。去る11/17初参加しました。きっかけは8/26ブログで紹介した「湾生」根井ご夫妻の付き添い。

なんの予備知識もないまま、台湾最南端、穏やかな海を眺めながら、10万や26万の戦没者、どんな情景だっただろう。不謹慎ながら映画タイタニックを思い出した。

すると、後から「ひょっとしたら、台湾で川柳をやっておられる杜青春さん?」……!!!!!?????

振り向くと70代白髪の紳士がいた。なんと千葉川柳番傘代表の宗吉みお先生

「以前、東葛川柳会でお会いしてましたよ。」

宗吉先生はご兄弟で慰霊祭に参加され、弟君は74歳。「父にだっこされたのは一回のみ、バシー海峡で戦没された」という。

台湾最南端まで来て、なお川柳仲間に出会うとは……。不思議なご縁をくれた先人たちに感謝しながら、海に向かって合掌した。

標題の句、海岸からバスに戻る時、椰子の実の屋台がズラリ並んでいた。「ココナッツジュース、オイシイ!」とカタコトの日本語でセールスしていた。暦では小雪だった。

 



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南国は椰子が飲み頃小雪日”にコメントをどうぞ

  1. 上野 楽生 on 2019年12月7日 at 6:07 AM :

    青春さん、おはようございます。
    素晴らしいブログ記事ありがとうございます。
    いつも日本のことを気に掛けて戴きありがとうございます。
    バシー海峡悲しいですね。悔しいですね。
    日本人の一人として合掌しています。

    別件ですが、拙著『ハイフォバー』間もなく納品されます。
    台湾にも年内にお送りします。ご笑納ください。

    • 杜 青春 on 2019年12月9日 at 4:28 PM :

      楽生さん
      いつもコメントくださり
      ありがとうございます

      バイフオバー
      お待ちしております

  2. 江畑 哲男 江畑 哲男 on 2019年12月7日 at 5:38 PM :

    このブログはスゴイ!!
    上野楽生さんの仰るとおり、デス。
    「バシー海峡」という固有名詞を聞いただけで、上記の悲劇を理解できる人はそう多くないはずです。小生もしかり、デシタ。門田隆将氏の『慟哭の海峡』(←このノンフィクションがまたまたスゴイ!!、角川文庫)を、ぜひご参照下さい。
    加えて、千葉番傘川柳会の宗吉みちおさんとの異国での再会。これにも感動しました。そうでしたか。みちおさんの父上はこの地で犠牲になられたのですね。
    有難う!、杜青春さん。日台の結びつきは相当深く、重層的な構造になっているのですね。またお目にかかりましょう。

    • 杜 青春 on 2019年12月9日 at 4:32 PM :

      江畑先生
      実は 今「慟哭の海峡」
      台北の紀伊国屋で購入し
      読んでおります。

      同書を読んでから
      バシー海峡に行ったら
      よかったと思っています

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