縄文時代の日本人は狩猟採集で暮らしていた。ドングリなどを拾ってはよく食べていたようである。そのドングリの代表格であるスダジイのドングリは生でも食べられるらしいことを最近知った。マテバシイのドングリもやはり食べられるようなのだが、私は食べ方よりもスダジイとマテバシイの名前の方が気になった。
シイは漢字で「椎」と書く。椎の木などと言う。名字などにもよく使われて「椎名」さんはその代表格である。シイタケはもちろん「椎茸」と書くから、シイタケ栽培の原木は椎の木が一番いいのかというと、それだけでなく他の種類の木でも育つようである。
スダジイの語源は、シイタケの原木を「スダギ」と呼ぶことがあり、そこから来ているという説をネット情報で知った。マテバシイの方は、九州で使われていた槍鉋(やりがんな)のマテバに葉が似ていることからそう呼ばれるになったという由来を同じくネットから調べた。いずれにしても、それぞれの名称のルーツには諸説がたくさんあり、どれが正しいかは不明のようである。そもそも語源などというものは大方がそんなものであろう。
シイの種類にはこの二つの他にツブラジイなどがあり、スダジイの方にはナガジイやイタジイの別称がある。
私が気になったのは、シイがジイとなぜ濁音になるのかということである。初めてスダジイと聞いたら「須田爺?須田というの名字のお爺ちゃん?」と連想してしまうのではなかろうか。ツブラジイだって「螺良の爺さん?」と受け取るのではないか。
日本語の発音においては連濁のルールというのが一応存在する。ネットで検索するとこんな用例が載っていた。二つの和語がくっ付いた場合は、原則として連濁する(あお+そら→あおぞら/青空、はな+ひ→はなび/花火)。二つの漢語・外来語がくっ付いた場合は、原則として連濁しない(さいこう+きろく→さいこうきろく/最高記録、コンサート+ホール→コンサートホール)。
このルールに照らしてみると、シイをジイと濁らせるのは和語が二つくっ付いているからそうなるのだろうか。スダジイの方は、とりあえずは発音のルールに従っている。マテバシイは外れている。しかし、そもそも「シイ」は「ジイ」と濁ると一気に分かりづらくなるような感じがする。これは老後を暢気に暮らしている私だけに当てはまる感覚なのだろうか。広く皆さんの意見をお聴きしたい(笑)。
童謡「お山の杉の子」(作詞:吉田テフ子)は「♪昔 昔 その昔 椎の木林のすぐそばに 小さなお山が あったとさ あったとさ…」で始まるが、この椎の木をスダジイの木に置き替えて「♪…スダジイ(ー)の木のすぐそばに…」にしたら、変な違和感を覚えるのではないか。須田爺と勘違いされかねない。
個人的にはシイはどんなシイでもその名称は濁音化せず清音のままでいいような気がする。スダシイやツブラシイではまずいのだろうか。スダジイを須田爺と早合点してしまい、長く椎の木の一種だとは思っていなかった私としては、身勝手と無茶を承知の上で一応は考察してみた次第である。なお、どうでもいいような拙文にお付き合いくださって大変感謝いたします(笑)。
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