子供の頃、親(特に母親)から、お前は内弁慶だとよく言われていた。それは私が気難しくてわがままで好き嫌いが激しかったからである。要するに、親に世話を焼かせてばかりの面倒くさい息子だった。
それでも昔の躾けは厳しいところがあったので、駄々をこねたからといって、自分の思うとおりにはさせてくれない。だからよく泣いて喚いた。今になって思い返せば、泣いたからといって親が譲歩してくれた記憶などはほとんどない。少しぐらいの熱があっても小学校には登校させられた。夕飯などで嫌いな食べ物が出て不平をこぼしたら、食事は抜きにされた。当時の家庭の躾けなどは大方こんなものだったろう。
そんな私でも、家を一歩出ると周りの言うことは素直によく聞いて大人しいところがあったようだ。というか、自分の意見をなかなかはっきり言えない内気な性格と見られていたのである。
思春期・反抗期を経て、そこら辺りは少しずつ改善されていった。親の期待に応えるべく内弁慶な態度を返上しようと、何につけ自分の意見はなるべくはっきり述べるよう心がけた。
高齢者となったこの歳で今更ながら気がついたことがある。子供の成長過程で現れる内弁慶の言動は心理学的に決して悪いものではなく、正常な通過点の一つなのではないか。
そもそも子供は家族以外の人に対しては内気であろう。人見知りでもじもじするのが普通ではないか。たまにハキハキして行動的、利発的な子供もいるが、そういうタイプの子供が成長してから、ある日突然内向的になった場合の方が逆に心配なのではないか。いつも積極的に振る舞っていたのに、ある時期から何かのきっかけで引きこもるような事例をよく聞くからである。
物事を単純に決めつけて議論するのはよくないことを承知の上で述べるが、厳しい躾けをする家庭で育てられ、家の外では素直にいい子として振る舞っているが、親の見えないところで悪ガキとして何かをやらかしている例がよくある。家での厳しさの捌け口として、学校で弱い者いじめをしていたり、放課後はどこかでやんちゃをやっていたりする。家の中での息苦しさを外で発散してバランスをとっているとも言えるが、傍から見れば迷惑な話しであることは間違いない。
私は、親から何か事があるたびに内弁慶だと言われてきて、思春期以降ずっとそのことを恥だと思い込んでいたが、そういうプロセスは決して恥ではなかったと人生の終盤に差し掛かってやっと気がついた次第である。私を育ててくれた両親に対して今更恨むようなこともない。
テレビの子育て番組などを観ていると、子供を育てることがいかに大変かがよく分かると同時に、大変でない子育てなんて存在しないことにも改めて気づく。いや大変でない子育て(我が子があまりにも従順で素直すぎる)の方が、将来的に何か不安なことが起きるのではないかと勝手に思い込んでしまうのである。
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