Loading...Loading...

 先日行きつけのスーパーへ向かうと、店頭に袋入りの「すりごま」が並べられているのに気がついた。100円程度である。無性に懐かしくなって手に取り、思わずカゴに入れてしまった。
 多分子供の頃からのことだと記憶しているが、我が家では擂り胡麻を重宝にしていた。そうめんのごまだれや正月に用意するなますなどの他、季節を問わずほぼ毎日使っていたのである。
 胡麻は擂り胡麻にすると甘みを増すが、そうする方が栄養価も高い。粒のままだと胃腸を通ってもあまり消化吸収されないので、やはり擂った方がよろしいようである。その価値に母親はある時突如目覚めたのか、やたらに擂り胡麻を使うようになったのである。毎朝、出来上がった味噌汁の鍋に一匙擂り胡麻を入れる。これはいいとして、ホウレン草や春菊などのお浸しにも擂り胡麻を振りかける。花かつおだけで充分だと思うのだが、必ずダブルで振りかける。胡麻は体にいいとどこかで聞いてきて、まるで信念になったかのように日々使っていたのである。
 それくらいの力の入れ具合なので、擂り胡麻も手作りである。安易な妥協はしない。近くの乾物屋で生の胡麻粒を量り売りで買って来てまずフライパンで炒る。それから擂り鉢と擂り粉木を用意して擦り始める。擂り鉢を押さえるのは子供の頃からの私の役目だった。手伝ってくれと言われると渋々鉢を押さえるのだが、実に面倒くさい。しかし、ずっとやらされていた。
 振り返ってみると、母親はある意味で大変な作業を飽きることなく何十年も辛抱強く続けていたのだが、歳には勝てず80歳になる頃にはついにやらなくなった。後で聞いたら、乾物屋がもう生胡麻を売り物として扱わなくなったので諦めたらしい。何につけ料理に胡麻を振りかけられて嫌がっていたが、それが消えてしまうと今度は些か淋しい気持ちにもなった。
 冒頭のスーパーでの発見は、そんな訳で衝動買いのように買い求めてしまった訳である。毎朝作る味噌汁(1人前・1杯分)に一匙擂り胡麻を入れることにした。かつて馴染んでいた甘みが昔と変わらず口の中に広がって懐かしく感じた。
 胡麻は認知症予防に効果があるという話しを聞いたことがある。母は一昨年94歳で亡くなったが、最期まで要介護にはならず認知症にもならなかった。私は密かに、何十年も擂り胡麻を摂取していたからボケなかったのではないかと勝手に推理している。そんな訳で、母のように手作りすることはできないが、味噌汁には一匙の胡麻を必ず使うことを今後心がけていきたい。
 最後に、母は亡くなる年にいささかまだらボケのような症状を見せることがあった。二人で炬燵に入っていると、いきなり「博史は何処に行ったんだんべ」などと、私が目の前にいるのに訊いてくる。向き合っている私が顔を近づけて「博史はここにいるよ」と話すと「そうか」と言って黙る。そんな漫才みたいな会話のやりとりを繰り返すようになっていた。
 日常行動は全く問題なかったが、性格がいささか気弱になったようにも感じられた。関西で暮らす孫娘夫婦に二人目の曾孫が生まれることを告げても、それまで生きていられるかなぁ、などと弱気な言葉を吐いたのには驚いた。あんなに気丈で、昔から赤ちゃん好きだったのに…。そして曾孫の顔を見る前にあの世へ逝ってしまった。
 亡くなってしばらくしてから、「博史は何処に行ったんだんべ」などと何でそんな頓珍漢なことを繰り返し言い出していたのか、ある時その訳が私なりに分かりハッとした。ドキッとした。私は若い頃、いろいろと精神的に屈折していて、親に何も告げず一日家を空けるようなことを何度も平気でやらかしていたのである。さぞ両親を心配させたことだったろう。今から振り返ると、とんでもないバカ息子だった。その時の親として不安な気持ちが何十年も経ち、90歳を過ぎてから今更ながらぶり返したのではないか。ずっとトラウマとして残っていたのかもしれない。あまりの申し訳のなさに、独り愕然とした。

ポストする LINEで送る ブックマーク
❤️ ひざポン
ありがとう!

気軽にポチっと
どうぞ(無記名)

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Post Navigation

Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K