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 私は他人の話しの深読みができない。鈍感で人付き合いが不器用なタイプなのかもしれない。噓も方便をそのまま信用して失敗することがあるからである。素直過ぎるのはよくないのだろう。
 しかし、噓も方便が人を傷つけることはよくある話しである。数年前、コロナの感染が拡大して川柳の集まりが軒並み中止になった。会場である公共施設も閉鎖となった。しかし感染者数が減少してある程度収まったと判断されれば、集まりは何とか再開したい。川柳仲間の気持ちは感染に恐れながらも、なるべくみんなに会いたいと思いが膨らんでくる。
 ある吟社の句会の会場準備を担当していた者が、コロナの緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が解除されてもなかなか会場の予約をしたがらなかった。奥さんからあまり外出するなと厳しく言われていたらしい。可哀そうだと思ったが、それなら当人抜きで開けばいい。そのようにしようと促したのだが、やはり予約をとりたがらない。みんな再開したがっていたので、うーん困ったものだと思っていたら、なんと当人は別の吟社の句会にはしっかり出席していることが判った。私は啞然とした。コロナがしっかり収まるまでは我慢しようと言っていたはずなのに、その我慢の方便が実は真っ赤な噓だったということがすっかりバレてしまったのである。
 振り返って考えたのだが、当人はそもそもみんなが毎回楽しんでいる句会に、さほど喜んで参加してはいなさそうだったことに気がついた。出句作品について出席者がいろいろと意見交換する合評の話し合いの流れになかなか付いていけなかったのである。私は薄々それを感じていていた。当人は毎回一応は元気よく顔を出してお喋りの中に入っていた(でも独り善がりの頓珍漢なことをよく発言していた)が、ほんとに楽しかったのだろうか。その後、結局は私たちの吟社を退会したのだが、辞める時も、もう歳なので句が詠めなくなった、と川柳引退みたいなことを宣った。みんなはそれを正直にまた信じたのだが、これも噓で他の句会や大会には相変わらず参加していた。この2回目の方便の噓に、私は情けなさを感じた。
 最近も別の集まりでしばらく欠席が続いている会員がいた。一応耳にするのは、家庭の事情とか住んでいる地元の活動での忙しさとか、いろいろな理由を付けていたが、結局は集まりに興味がなくなったようなのである。これも言っていたことを正直に信じた者が馬鹿をみた例である。本心を知って、それなら辞めてもらうよう勧告することになった。
 事を荒立てないようなるべく穏便に済ませるために、方便の噓をつく配慮(心遣い?)は決して悪い訳ではない。しかし100%それを信用してしまい、後で事実を知って裏切られた、傷つけられたと周囲に悔しい思いをさせることは、会や仲間に対してかえって失礼になる場合もあるのだ。
 私は不器用に生きてきたので、すぐ馬鹿正直にホンネを吐いてしまう。それが過去において人を傷つけることも多々あったろうが、自分のメンタルバランスの面ではいい方向にいった場合も多い。噓の辻褄を合わせるのは実に面倒くさい、結構精神的に疲れる。だから方便の噓もあまりつかない。はっきりものが言えない人間も困りものだと思う。

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