先日、現役時代の元同僚と近くの運動公園に行った。元同僚はジョギング、私はウォーキングをして汗をかいた。ほぼ毎月1回は一緒にやっていることであるが、運動した後の昼食はいつも適当なラーメン屋に行くことになっている。
その日はネットで探した佐野ラーメンの店を見つけたので、開店時刻の11時30分にはその店に入った。いつものように周りが耳を傾けていたらどうでもいいと思うような他愛のない世間話やかつての職場の話題などを蒸し返して喋って、酒も飲んでいないというのに二人だけで大いに盛り上がった。もちろん手打ちラーメンと餃子も予想したとおり美味しかった。
食べ終わる頃、偶然にも職場のかつての後輩が店に入って来て出くわした。60歳の定年後にまだ再雇用で働いているようである。隣のテーブルに座って現在の職場の状況について、いろいろな話題を提供してくれておもしろかった。懐かしく聞きながら、何だかんだ愚痴をこぼしながらもまだ頑張っていることを労ってやった。
さて最後に別れる時、こんなことを言われた。「三上さん、俳句の方はまだやってんですか?」
がーん、という音が私の脳裏に響いた。私は職場の内部広報誌に川柳についてのコラムを20年以上毎月連載していて、興味を持って読んでもらっている職員には、私の趣味が川柳であることは少しは知られていた。偶然出会ったその後輩も某大学国文科の出身で小説などの本をよく読んでいた。だから現役時代は話しが合う仲間同士と感じていたのである。少しぐらい私と私の川柳のことは分かってくれていたと思っていたのに、私がまだ(川柳ではなく)俳句を続けているだなんて、広報誌の連載を少しも読んでなかったのだろうか? 愕然とさせられたのである。川柳と俳句の言い間違いにしてもひど過ぎる。
以前にこのブログで「俳句は風流で様になり、川柳は… 」(2020年4月27日)を書いたが、なかなか川柳の認知度は高まっていないようだ。俳句よりも格下、マイナーにみられ、どうせダジャレを使った言葉遊び程度の文芸なのだろうと、世間では依然としてそう思われているのだ。俳句と川柳の区別も知らないという日本人のなんと多いことか。思えば、高校生の頃に教わった国語の日本文学史の副本では、川柳は一、二行の紹介(柄井川柳、誹風柳多留などの単語を並べただけ)で終わっていたことをよく記憶している。
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