公園デビューという言葉がある。ネットで調べると1990年代の半ば頃からマスコミで使われ始めたようである。その後ワーキングマザーが当たり前になってきて、今では死語に近い言葉になっている、とも説明されていた。
この言葉が流行り出した当時、川柳にも結構これについて詠まれたものが多くあった。私が所属していた吟社の句会などでも、流行語に敏感な人達がこの言葉を上手く詠み込み込んでいた。それらの中で、少なくとも私にとっては心に引っかかる耳障りな詠み方をする句にも出合った。
「公園デビュー」は七音である。十七音の上五中七下五のどこにこの単語を落とし込むか。句またがりにすれば、中七と下五にまたがってはめ込むことも出来るが、素直に詠み込もうとすれば、やはり中七にそのままそっくり持ってくるのが自然なのかもしれない。あるいは上五に七音として持ってきて七五五あるいは七(字余り)七五にすれば、破調にはなるがこれはこれでうまく収まることとなる。
ある時の句会の自由吟か課題吟で、「公園のデビューなんとか(四音)かんとか(五音)」という句が披講された。私は即座にその句はおかしいと感じた。「公園のデビュー」なんていうものの言い方は、巷の日本語空間、実際のコミュニケーションの現場には存在しない。五七五の定型に無理やり調えようとしたために、「公園」と「デビュー」の間に接続助詞の「の」を挟み込んだのである。定型を杓子定規に遵守しようとするあまりの苦肉の策と言えるのだろうが、私には素直に承服することはできなかった。
定型であらずんば川柳にあらずという原理主義者の教えを崇拝して盲従し、一音も定型からはみ出ないように裏技を使って詠み込む狭隘な考え方の作句スタイルがいまだ蔓延っているようでは、川柳に未来などはないと改めて痛感したものだった。当時の私は40歳前後、句会出席者の平均年齢はおそらく70歳前後、親子ほどの違いをいつも感じていたが、伝統という名の古い体質を脱ぎ捨てられない諸先輩方の川柳観に対して、その頃から些か疑問を持っていたのである。
以上は20数年ほど前の出来事である。実は、最近もある柳誌で「憲法の学者なんとか(四音)かんとか(五音)」という作品を偶然目にして、「憲法学者」ならごまんといるが、「憲法の学者」などという輩が一体どこにいるのか!と思わず叫びたくなった。それで「公園のデビュー」の一件も俄かに思い出した次第なのである。
バカの一つ覚えのように単語と単語の間に「の」を入れ込んで定型の音数を調えようとする詠み方には、呆れ返ることを通り越して慨嘆するばかりである。この手の作品が、私が常々思っている「嫌いな川柳」なのである。いろいろなところで選を仰せつかるが、この類の応募句を目にしたら、句の良し悪し以前に私は決して入選にはしない。
言わずもがなのことであるが、「公園のデビュー」も「憲法の学者」も、そんな言葉はネットの検索では一つも引っかからない。まともな日本語の世界には存在しない代物なのである。だからもちろん川柳においても、安直な考えや姑息なやり方に基づいて使うべきではない。
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お怒りですねえ。
披講するとき、何が何でも575に切る方がいらっしゃいますね。「電熱器・にこっと笑う・ようにつき」みたいに。
あれもどうなのかしらと思いますねえ。
私は句またがりには甘いので、「なんとか(5音)かんとか(3音)公園デビューする」という作り方もありかなと思います。
「不本意であるが公園デビューする」みたいに。
同様の方法で「憲法学者」を自然な感じにするのは難しいですが、「批判してほしい憲法学者なら」とかなら許せるでしょうか?
私が最近ものすごく気になってしかたないのが、下5に母音や撥音で終わる6音の名詞を持ってくる句です。
「同窓会」とか「運動場」とか「新幹線」とか。
昔の句にもたまにあって、あれっと思ったりするのですが、読み方によって5.5音ぐらいに聞こえるからか、最近容認する風潮があるような気がします。
下6であること自体も気になるのですが、推敲の手間を惜しむ安易な姿勢が何か嫌だなーと思っています。
久美子さん、お久し振りです。
最近ドックで血圧が高いことを指摘され、病院を受診したら正式に高血圧症と診断されて薬を服用しています。ということで「お怒りですねえ」と仰られましたが、この頃はあまり怒ることは止めようと心がけています。我が身の血圧が一番大事ですから(笑)。後で、血圧のことはブログに書きます。読んでやってください。
さて、ご指摘の「電熱器云々」は弁慶読みと言うんですね。おそらく誰でも弁慶読みは嫌がっていると思いますよ。でもまだしつこくそう読みたがる人も確かにいます。
句またがりは、私もさほど気にしていません。誹風柳多留の頃からそういう形態の作品はありましたから、これを否定するのは川柳の根幹に関わることでしょう。ただし、句またがりでもリズム的に読みづらいものもありますよね。そういう句はいかがなものかという気がします。
下六の字余りは、数年前のNHK大会の特選句でまさにそういうのがありました。披講されて、うーん、と思わず唸ってしまいましたが、どうなんでしょうねえ。5.5音に聞こえる場合もあることは確かです。推敲すれば何とかなることも結構あります。少なくとも私はそうなるように留意しています。