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  朝明第9号(2021年1月1日発行)特集[コロナで考えたこと]
  「亡国論としての新しい日常」  三上 博史

 「新しい日常」…、何という詩的な響きのある表現なのだろう。詩人ならこのタイトルで一編の詩が書けるだろうか。小説家でも何か短編ぐらいは書けるだろう。十七音短詩型の川柳だと、このフレーズだけで九音を取られてしまうので詠み込むことは難しいかもしれない。でも一応詠んでみた。
  「新しい日常」思慮もなく響く   博史
 少なくとも文芸に携っている者なら、この表現に鈍感ではいられない。そんな輩がいたら、言葉とその表現に対して大したセンスがないと切り捨ててもいいだろう。
 昭和三〇年代、「女子大生亡国論」というのがマスメディアを賑わせた。今時、そんなことを宣う大学教授がいたら即刻解雇されるのではないか。女子を排除したら、日本の大学のほとんどは潰れてしまうだろう。何年か前に、女子を排除しようとした医学部不正入試がいくつもの大学で発覚したが、医学部でさえ、そんなことをやっていたら世間の顰蹙を買うご時世である。
 「新しい日常」の中で言われている、マスク・フェイスシールドの着用、手指消毒、アクリル板を挟んだ会話・応対、ソーシャルディスタンスなど、内心そんな馬鹿らしいことなんてやってられるかと思っている方は多いと思う。こんなことをしていたら日本という国が亡びるのではないか、そう真剣に危惧しているかもしれない。
 しかしこれから先、そのように馬鹿にしている人間はいい死に方をしないだろう。必ず淘汰されるはずだ。
 何故なら、半世紀以上前の「女子大生亡国論」が今や完膚なきまでに否定されたように、「新しい日常」がこの先何年かして完全に定着して、新しくも何でもない、「当たり前の日常」に成り代わっているだろうからである。
 令和生まれの人達は物心ついた時には「新しい日常」にどっぷり浸かって、「当たり前の日常」として育っていくことだろう。令和生まれでなくとも、今の若い世代は柔軟に物事の変化へ対応できるから安心かもしれない。問題は、人生のピークをとうに過ぎた私のような人間達はどう対処したらいいのか、ということだ。
 「新しい日常」は理屈ではない。科学的な根拠が疑わしいと反論しても医学的に肩透かしを食らうだけである。それはモラルということになる。モラルが古くなった、時代にそぐわなくなったからといって、簡単に新しいモラルに飛びつくことなんてできない。しかし、着実に時代は変化している。
 古い世代はどうしろというのだ。パソコンもスマホもできないデジタルデバイドの典型みたいな老人に、マイナポイントのメリットを説いてみても全くの無駄である。でもそういう老人は無視して開き直れるからいい。
 「新しい日常」に対しては、誰も開き直れないのが悲しい。もし開き直ったら自粛警察に逮捕されてしまう。

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