物事を客観的に観察して正しい判断を得ようとする時、なるべく相対的に考える、つまり対象やその概念を相対化させようとすることが大切だと思う。
相対的な観点とは、絶対的に思えるようなものに対しても常に懐疑的になることでもある。情報化社会だから、正しい判断をするための材料が充分に用意されていると考えるのはよろしくない。判断材料がたくさんあるからといって安心してしまい、つまらぬ余計な材料を選んでしまい誤った判断を下すことも多々ある。
絶対的なものと言えば、宗教的な存在(神様)をすぐ想像したがるだろうが、これが一番怪しい存在であることは誰でも理解できるだろう。心の中で絶対的な存在を認めることは容易なことである。だからいろいろな宗教があり神様が存在する訳である。
学校の社会科の授業で習ったいろいろな社会的概念、自由、平等、平和、人権、民主主義、三権分立など、こういった明治維新後に西洋から輸入された思想に基づいて生まれたもののほとんどは、言い換えるならそれ以前の日本には無かった考えのものと言える。それで日本の社会は長く機能していた、日本の歴史が続いていた訳である。
ある歴史家が言っていたが、明治期になるまで日本には「競争」という概念が存在しなかったということである。国家間の競争などというものは全く想定外のことだったようである。
テレビの時代劇などを見ていると、今の世の中と変わらないようなものの見方・考え方(価値観や倫理観)によって当時の日本人が生活している、そんな錯覚をしたくなる場面に出くわすことがある。単なるおもしろさの追求ということだけならそれでいいのだろうが、社会思想史的には全くちぐはぐな場合もある。江戸時代までは、自由、平等の観念、発想すらなかった訳である。
少し話しが逸れてしまったが、社会的な概念のみならず歴史の見方についても相対主義の立場に立つと、ものの考え方が柔軟になり、無理のないものの見方が得られる。
相対主義とはタテマエとホンネの世界を認識することとも言える。悉く絶対性を否定していっても、タテマエとホンネの方程式は依然残ることだろう。これを弁えていないと、正直者が馬鹿を見るような経験をすることとなる。
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