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この写真の他には何もない。

前列左父 隣は祖父 後列左は祖母 その一人置いて母(抱かれているのは生後間もない私)

この中で生存しているのはもう私だけ。
母はわたしが2歳のときに亡くなった・・・・。
わたしはこんなにも長生きをさせてもらっている。
丈夫に産んでくれた母がいて、丈夫に育ててくれた母が有ってのことです。

のこされた時間、もう少し好き勝手をゆるしてもらいます。


昨日は川柳マガジンクラブ静岡句会でした。
静岡句会が産声を上げたのは2007年3月4日(日)でした。

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  1. 春爺 on 2026年3月2日 at 9:46 AM :

    昭和13年ころの写真でしょうか・・・
    セピア色がいいですね。
    高崎大空襲では隣保班の防空壕に退避しました。

    まだまだ元気に弾けるからだでいてくだだい。
    あの屋上から富士山見てください。

  2. きじん on 2026年3月2日 at 10:45 AM :

    私は防空壕に退避したことはありません。退避訓練をしたことはあったような気もします。
    終戦時は島根県の鳥井町にいました。(現大田市)

    あの写真は三段峡のある町(広島県)です。

    自分でもこんなに元気でいいんだろうか…なんて思うくらい元気です。
    まだ夢中になれることがいくつもあるのがその素かもしれませんね。😁

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