Loading...Loading...

(写真はイメージです)

明治期に川柳革新運動を推進した中心人物の一人で「川柳中興の祖」と称される阪井久良岐は1928年に千葉県市川市に居を構え晩年をこの地で過ごしました。久良岐の活動により市川が近現代川柳の大きな流れの中心となったとも言えます。その久良岐の後継者が吉田機司です。吉田機司は医者であり、阪井久良岐の最後の脈を取ったことでも有名です。

第1章 吉田機司――久良伎の志を戦後へ

久良伎の跡を継いだ川柳人が、吉田機司(1902~1964)です。機司は医師で、市川市真間に医院を構えていました。白衣と聴診器の世界に生きながら、もう一方では十七音の世界に深く身を置きました。阪井久良伎門下として川柳を学び、戦後には正岡容らとともに川柳の復興に力を尽くした川柳人のひとりです。、

また、機司は市川に暮らした永井荷風とも親交がありました。市川市文学ミュージアムも、機司を「医師のかたわら、阪井久良伎門下として川柳の創作も行う。永井荷風とも親交があった」と紹介しています。機司には、市川と文学者との交流を思わせる一句があります。『仲見世で会った荷風は下駄を履き』川柳と文学、そして市川という土地のつながりを感じさせる一句です。久良伎が近代川柳に灯した火を、戦後へ運んだ橋渡し役を担った川柳人、それが吉田機司でした。

第2章 松沢敏行――川柳新潮社の誕生

その吉田機司のもとから育った代表的な川柳人が、松沢敏行(1923~1995)です。市川市文学ミュージアムも「機司の許から松沢敏行らが育ち」と、その師弟の流れを明記しています。1963(昭和38)年、松沢敏行を中心として川柳新潮社が結成され、『川柳新潮』が創刊されました。市川市所蔵資料にも、『川柳新潮創刊号』 1963年(昭和38) 川柳新潮社 松沢敏行を中心として結成と記録されています。ここに、阪井久良伎⇒吉田機司⇒松沢敏行⇒川柳新潮社という一本の流れが、柳社として明確な形を持つことになりました。松沢敏行はまた、師・吉田機司の生涯をまとめた評伝『吉田機司』を1979(昭和54)年に川柳新潮社から刊行しています。これは一人の師の伝記であると同時に、千葉柳界の歴史を伝える貴重な記録でもあります。

第3章 市川を詠んだ川柳人たち

この系譜が興味深いのは、単に師弟関係が続いたというだけではなく、「市川」という土地そのものを句に刻んでいます。市川市文学ミュージアムは「川柳でつづる市川」として、次の作品を紹介しています。

月は今三本松の上へ来る  阪井久良伎

仲見世で会った荷風は下駄を履き  吉田機司

初産の嫁と手児奈へ来る養子  松沢敏行

鉄橋に市川の音松の数  岡本公夫

四人の作品を並べてみると、川柳によって市川という町の時間がつながっていくように感じます。川柳は人間を詠む文芸である。しかし人間が生きる以上、そこには必ず土地があり、町があり、暮らしがある。市川の川柳史は、そのことを鮮やかに教えてくれる。

第4章 松沢敏行から次代へ(受け継がれる「新潮」の精神)

1995(平成7)年、松沢敏行は逝去。しかし、松沢が育てた川柳の流れがそこで終わったわけではなく、市川市文学ミュージアムは、阪井久良伎から吉田機司、松沢敏行へと続く流れを受けて、岡本公夫らが「伝統川柳の発展と新しい川柳の継承を担った」と記しています。岡本公夫はその後も川柳新潮社同人として、市川市の「市川手児奈文学賞」川柳部門の選者を長く務めるなど、市川の川柳文化を支えてきました。市川市の記録にも「岡本公夫(川柳新潮社同人)」として、その活動が残されています。ここに川柳新潮社の歴史と伝統が継承されています。

第5章 川口雅生氏から矢嶋もと之氏へ

近年、その川柳新潮社を主幹として率いたのが川口雅生氏です。そして2024(令和6)年、新たな世代交代が行われた。川口雅生氏から矢嶋もと之氏へ、主幹のバトンが渡されました。矢嶋もと之氏は2024年3月、『川柳新潮』通巻299号を紹介する中で、同年に前任の川口雅生から主幹を引き継いだことを紹介しています。また翌月紹介された『川柳新潮』は、記念すべき通巻300号でした。1963年の創刊から60余年。300号という数字の背後には、数え切れないほどの柳人たちの作品と交流があり、一冊一冊の柳誌は単なる句会報ではなく、そこには、その時代を生きた人々の喜び、悲しみ、家族、老い、社会、そして笑いが十七音となって刻まれています。

第6章 令和の川柳新潮社――そして私たちへ

川柳新潮社は現在も活動を続けています。千葉県内だけでなく東京、埼玉、神奈川方面からも参加者が集まっています。かつて阪井久良伎が暮らした市川。そこで吉田機司が川柳を詠み、松沢敏行が育ち、やがて川柳新潮社が生まれ、その流れは今も生きています。私も現在川柳新潮社の同人のひとりとして活動しています。

第7章 おわりに~市川の川柳の歴史~

阪井久良伎が市川に住み始めたのは1928(昭和3)年。そこからまもなく一世紀になります。その間、日本は戦争と復興を経験し、昭和から平成、令和へと時代は移り、市川の町並みも、人々の暮らしも大きく変わりました。久良伎から機司へ。機司から敏行へ。そして幾人もの柳人を経て、現在へ。市川の川柳の流れは今も一本の川のように、その流れは絶えることなく続いているのです。

柳山

ポストする LINEで送る ブックマーク
❤️ ひざポン
ありがとう!

「なるほど!」「いいね!」
心が動いたらポチっ(無記名)

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Post Navigation

Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K