(写真はイメージです)
今川乱魚の世界
~人生にもっとユーモアを~
現代川柳の歴史を振り返るとき、「川柳は難しい顔をして作るものではない。人生を見つめながら、そこに笑いと人情を見つける文芸である」ということを、自らの作品と活動によって示した川柳人がいます。それが今川乱魚(いまがわ・らんぎょ)です。乱魚は、東葛川柳会を創設して初代代表を務め、のちには全日本川柳協会の理事長、さらに第三代会長として全国の川柳界を牽引しました。その活動を振り返ると、乱魚が残したものは単なる作品だけではありません。「川柳をもっと楽しく、もっと広く、もっと社会へ」その精神こそが、今川乱魚の大きな遺産だったのではないでしょうか。
■ 今川乱魚の略歴
今川乱魚は1935年、東京に生まれました。本名は今川充。早稲田大学法学部を卒業し、大阪で川柳を始めました。その後、東京みなと番傘川柳会などで活動し、番傘川柳本社幹事、日本川柳ペンクラブ常任理事、川柳人協会顧問などを歴任しました。また、東京・茨城・千葉に活動を広げた「999番傘川柳会」を創設して会長を務め、千葉県川柳作家連盟名誉顧問としても活動しました。著書には『ユーモア川柳乱魚句集』『癌と闘う―ユーモア川柳乱魚句集』『川柳贈る言葉』『銭の音―ユーモア川柳乱魚句集』などがあります。特に『癌と闘う―ユーモア川柳乱魚句集』は、深刻な闘病という現実を真正面から受け止めながら、それを川柳の「笑い」へ転換した作品集です。同書は第3回日本現代詩歌文学館館長賞を受賞し、2005年の「現代川柳の集い」では、乱魚自身が「闘病とユーモア川柳」と題して記念講演を行っています。2010年4月、乱魚は75年の生涯を閉じました。
■ 東葛川柳会を創った今川乱魚
今川乱魚を語るうえで欠かせないのが、東葛川柳会です。1987(昭和62)年10月24日、柏市中央公民館で東葛川柳会創立句会が開かれました。4名の発起人から始まり、創立句会には52名が参加しました。初代代表が今川乱魚、事務局長兼『ぬかる道』編集長が江畑哲男氏でした。機関誌『ぬかる道』もこのとき創刊準備号が発行されています。乱魚は発足に際して、東葛川柳会を単に「入選を競う場所」にしようとは考えていませんでした。人情、人生観、仕事、社会、そして川柳そのものについて語り合う「楽しい会」を目指していました。さらに、移り変わる世の中や人間の心を一人ひとりの目で捉え、「今の言葉、今の感性」で川柳にしていこうという考えを示しています。この考え方は、現在の東葛川柳会にもつながっている重要な原点です。
■ 「進取の精神」を持った川柳会
東葛川柳会の特色の一つは、創立当初から新しい試みに積極的だったことです。吟行句会、記念講演、社会的な出来事への取り組み、災害被災者への義援金とお見舞い川柳、さらにはコンピューターによる川柳作品のデータベース化など、当時としては新しい活動を次々と進めました。1992年には、すでに『ぬかる道』誌上で作品のコンピューター・データベース化について乱魚が言及しています。また、東葛川柳会の最初のホームページも乱魚代表時代に開設されました。つまり乱魚は、川柳の伝統を大切にしながらも「新しいものは積極的に取り入れる」という姿勢を持った川柳人だったのです。現在の東葛川柳会が掲げる「進取の精神」は、まさに乱魚時代から続く伝統といえるでしょう。
■ 東葛川柳会から全国の川柳界へ
東葛川柳会は創立時の数十名から大きく発展し、2007年当時には会員350名を数えるまでになりました。乱魚自身も東葛の枠を越え、全国的な川柳活動へと舞台を広げていきます。2002(平成14)年3月、江畑哲男氏が東葛川柳会第二代代表に就任し、乱魚は全日本川柳協会理事長へと活動の重心を移しました。東葛川柳会では、このとき「江畑哲男代表就任、今川乱魚全日本川柳協会理事長就任パーティー」も開かれています。全日本川柳協会の公式記録によれば、乱魚は2002年6月9日から2005年6月12日まで理事長を務め、その後、2005年6月12日に第三代会長へ就任しました。会長職は2010年4月15日まで務めています。
■ 全日本川柳協会会長として
全日本川柳協会は、全国の川柳人・川柳団体をつなぎ、川柳の普及と向上を通じて文化の発展に寄与することを目的とする全国組織です。乱魚はその会長として、全国大会など協会活動に携わる一方、川柳を既存の川柳界だけに閉じ込めず、一般社会へ広げる活動にも力を注ぎました。北國新聞の川柳欄をはじめ、防犯、消防、防災など幅広いテーマの川柳コンテストで選者を務めた記録が残されています。ここにも乱魚らしさがあります。川柳を「川柳人だけの文芸」にするのではなく、普通に生活している人たちにも五七五の面白さを知ってもらう。その意味で乱魚は、川柳の社会への入口を広げた普及者でもありました。
■ 台湾へ広がった川柳交流
乱魚の活動でもう一つ注目したいのが、海外との交流です。1995年3月、乱魚は台湾を訪れ、台湾川柳会の関係者と親睦を深めています。その後、日本各地の川柳人が台湾を訪れる流れが生まれ、東葛川柳会と台湾川柳会との交流も発展していきました。2005年には東葛川柳会による台湾吟行句会が行われ、21名が参加して台北で日台合同句会を開催しました。さらに2007年の東葛川柳会20周年記念大会には、台湾川柳会の頼柏絃会長らが参加しています。現在まで続く東葛川柳会と台湾川柳会との交流を考えると、その源流の一つに乱魚の存在があったことが分かります。
■ 今川乱魚の代表句五句
乱魚の川柳を特徴づける最大の言葉は、やはり「ユーモア」でしょう。しかし、その笑いは単なる駄洒落ではありません。人生の哀しみ、夫婦、老い、病気、死。そうした重いテーマまで、一度自分の中で受け止め、それを笑いへ転換しています。
「恋を振り返れば二勝五敗にて」
『ユーモア川柳乱魚句集』に収められ、のちに『川柳作家全集 今川乱魚』にも収録された句です。恋愛の履歴をスポーツの勝敗のように「二勝五敗」と数えてしまうところが乱魚流です。人生には失敗もあります。しかし、それを深刻な顔で語るのではなく、笑いながら振り返る。その距離感が実に巧みです。
「ゴキブリを見つけて妻に引き渡す」
夫婦の力関係が、一句で見えてきます。本来なら夫が退治する場面かもしれません。それを妻に「引き渡す」家庭の日常を題材にしながら、人間のおかしさを鮮やかに捉えています。
「喪った臓器をさがす人体図」
胃などの臓器を失った自身の闘病体験を背景にした一句です。『癌と闘う―ユーモア川柳乱魚句集』の作品として確認できます。笑いがあります。しかし、その奥には病気と向き合う人間の切実さがあります。「喪った」という言葉が、この句を単なるユーモアでは終わらせていません。
「採血採尿涙は誰も採りに来ぬ」
病院では血も尿も採られます。しかし、「涙」は誰も採ってくれない。思わず笑ったあとに、病人の孤独が残ります。これこそ、悲しみと笑いが同居する乱魚川柳の真骨頂ではないでしょうか。
「十年は生きて手術の元を取る」
大手術さえ「元を取る」という日常語で笑いに変えてしまいました。病気に負けない、という精神論を正面から叫ぶのではありません。「せっかく手術したのだから十年は生きなければ損だ」そんな庶民感覚に置き換えています。
笑いは、時として人間が生きる力になります。乱魚の闘病川柳は、そのことを作品そのもので示しているように思えます。
■ 「ユーモア川柳」という大きな功績
今川乱魚の功績を一つ挙げるなら、ユーモアを現代川柳の重要な表現として追求したことでしょう。乱魚の句には、難解な言葉がほとんどありません。夫婦、恋、金、病院、老い、仕事――誰もが知っている生活の中から題材を拾い、それを少し角度を変えて見せます。しかし、その笑いの底には人間への温かな眼差しがあります。だから笑ったあとに、何かが残ります。乱魚にとってユーモアとは、人を笑わせるためだけの技巧ではなく、人生を生き抜くための知恵だったのではないでしょうか。私も、現在東葛川柳会の誌友として毎月の句会に参加し今川乱魚のユーモアの精神を忘れないよう創句を楽しんでいます。
柳山
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柳山さま
乱魚さんとは少し接点がありました。私が最初に東京みなと番傘に入会したときにはもう乱魚さんはみなと番傘にはいらっしゃいませんでしたが、大きな大会では選者としていらしていました。そんな折、立ち話で私も癌の治療をしたことがあると話しましたところ、お手紙を頂いたり句集を交換させて頂くようになりました。弊社の抗がん剤で治療されているとのお話もお聞きしました。懐かしい昔話です。私の好きな句は、
いい土に還ろううまいもの食って 乱魚
勢藤潤さま
早速のコメントを有り難うございます。
乱魚さんとの交流を楽しく読ませて頂きました。
句集の交換や貴社で製造された抗がん剤の治療などいろいろな接点がありましたね。
乱魚さんは既に副作用の少ない抗がん剤を使用されていたんですね。
貴重な体験談を有り難うございました。
柳山