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追悼・倉本聰「北の国から」が遺したもの
~人間と家族・そして自然を見つめ続けた91年の人生~
日本を代表する脚本家・劇作家の倉本聰さんが、91歳で逝去されました。倉本さんの名前を聞いて、真っ先に北海道・富良野の雄大な風景を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。そして、さだまさしの作曲したあの懐かしいテーマ曲とともに思い出されるのが、代表作「北の国から」です。倉本さんは長い創作人生を通して、家族とは何か、幸せとは何か、そして人間は自然とどのように生きていけばよいのかを問い続けました。
■東京から脚本家の道へ
倉本聰さんは1935年、東京都に生まれました。本名は山谷馨(やまや・かおる)さんです。東京大学文学部美学科を卒業後、1959年にニッポン放送へ入社しました。在職中から「倉本聰」の筆名で脚本を書き始め、1963年に退社して脚本家として独立しました。その後、「6羽のかもめ」「前略おふくろ様」など数々のテレビドラマを手掛け、高い評価を受けます。しかし倉本さんの人生に大きな転機が訪れます。東京を離れ、北海道へ生活の拠点を移したのです。やがて富良野に定住し、この北の大地との出会いが、倉本作品を大きく変えていくことになります。
■日本のテレビ史に残る「北の国から」
倉本聰さん最大の代表作といえば、やはり「北の国から」でしょう。1981年10月からフジテレビ系列で放送された連続ドラマで、田中邦衛さん演じる黒板五郎と、息子の純、娘の螢を中心に、北海道・富良野で生きる一家の姿を描きました。東京での生活を離れ、五郎は二人の子どもを連れて富良野へ移ります。そこには都会のような便利な生活はありません。厳しい寒さがあります。不便な暮らしがあります。失敗もあります。しかし、そこには人間が生きていくうえで本当に大切なものがありました。
親子の愛情、隣人との助け合い、自然への畏敬、働くことの尊さ。
倉本さんは、それらを声高に語るのではなく、黒板一家の日常を通して静かに私たちへ問いかけました。
■登場人物と一緒に視聴者も歳を重ねた
「北の国から」の特筆すべきところは、連続ドラマ終了後も物語が続いたことです。1983年の「北の国から’83冬」を皮切りにスペシャルドラマが制作され、2002年の「北の国から2002遺言」まで、実に20年以上にわたって黒板一家の人生が描かれました。純を演じた吉岡秀隆さん、螢を演じた中嶋朋子さんも、少年少女から大人へと実際に成長していきます。そして田中邦衛さん演じる五郎も歳を重ねていきます。ドラマの中だけで時間が流れたのではありません。出演者も歳を重ね、視聴者も歳を重ねました。だからこそ「北の国から」は単なるテレビドラマを超えて、「一つの家族を何十年も見守ってきた記憶」のような存在になったのでしょう。
■不器用だからこそ愛された黒板五郎
黒板五郎は決して格好のいい父親ではありません。不器用で、口下手で、失敗もします。子どもたちも父親の思い通りには育ちません。純も螢も悩み、傷つき、時には父親から離れていきます。しかし五郎は、それでも子どもを信じ続けます。人間は完璧ではありません。家族もまた完璧ではありません。それでも家族はどこかでつながっている。この普遍的な人間の姿を描いたことが、「北の国から」が長く愛され続けている最大の理由ではないでしょうか。
■映画脚本でも大きな足跡
倉本さんはテレビドラマだけでなく、映画の世界でも優れた脚本を残しました。代表的な作品の一つが、高倉健さん主演の「駅 STATION」です。北海道を舞台に、刑事として生きる男の孤独や人生を静かに描いた作品で、倉本さんは日本アカデミー賞最優秀脚本賞などを受賞しました。このほかにも「冬の華」など数々の映画作品を手掛けています。倉本さんは映画監督というより、脚本家・劇作家・演出家として、映画、テレビ、舞台という幅広い世界で活動した人なのです。
■富良野塾で若い才能を育てる
倉本さんのもう一つの大きな功績が「富良野塾」です。1984年、富良野で俳優や脚本家を育成する私塾を開きました。若者たちは北海道の自然の中で共同生活を送りながら、演技や脚本だけでなく、人間としてどう生きるのかについても学びました。作品を自分で書くだけではなく、次の世代の表現者を育てようとしたところにも、倉本さんらしさが表れています。
■「優しい時間」「風のガーデン」へ
「北の国から」の後も、倉本さんは富良野を舞台に作品を書き続けました。2005年の「優しい時間」、2008年の「風のガーデン」は、「北の国から」とともに富良野を代表する倉本作品となりました。また晩年には「やすらぎの郷」「やすらぎの刻~道」など、高齢者や老いを真正面から描いた作品にも挑戦しました。若者だけではなく、人生の晩年にもドラマがある。歳を重ねたからこそ見える景色がある。倉本さんは自ら歳を重ねながら、その時々の人間の姿を書き続けました。
■自然と人間を見つめ続けた作家
倉本作品を振り返ると、一つの大きなテーマが浮かんできます。それは「人間にとって本当の豊かさとは何かという問いかけです」便利な都会と、不便な富良野。お金と幸福。親と子の絆。若さと老い。生と死。倉本さんは簡単には答えを示しませんでした。その代わり、ドラマの登場人物たちを通して私たち自身に「人間にとって本当の豊かさとは何か」を考えさせたのです。晩年には環境問題にも積極的に取り組み、富良野自然塾を通して森づくりや環境教育にも力を注ぎました。「北の国から」で描いた自然へのまなざしは、ドラマの中だけのものではなかったのです。
■倉本聰さんが私たちに遺したもの
倉本聰さんが遺したものは、数多くの脚本だけではありません。「北の国から」という長大な家族の物語があります。富良野という創作の舞台があります。富良野塾から巣立った人々がいます。そして何より、「人間にとって本当に大切なものは何なのか」という問いを私たちに遺しました。テレビの前で黒板五郎や純、螢の人生を見守った人々にとって、「北の国から」は単なる懐かしいドラマではないでしょう。そこには自分自身が歩いてきた昭和、平成の歳月も重なっています。倉本聰さんは91年の人生を通して、人間の強さよりも、むしろ弱さや不器用さを愛情深く描き続けました。だからこそ、その作品には温もりがあるのです。
富良野の大地には、これからも季節が巡ってきます。雪が解け、草木が芽吹き、夏が来て、やがて再び雪が降ります。その風景を見るたびに、私たちは「北の国から」と、そこに生きた人々を思い出すことでしょう。倉本聰さん。長い間、心に残る数々の物語をありがとうございました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
【献句】倉本聰富良野にそっと筆を置く (柳山)
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