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モーツァルト――天から音楽を授かった天才

~35年の生涯に残した永遠の音楽~

今年2026年はモーツァルトの生誕270年記念の年となります。私の所属しているフルートアンサンブルアンダンテでは10月10日(土)に第30回定期演奏会を佐倉ハーモニーホールで開催します。勿論曲目にはモーツァルト生誕270年を記念して交響曲第38番「プラハ」とフルート協奏曲「アンダンテ」を演奏致します。皆様のご来場をお待ちしています。(演奏会案内を巻末に入れておきますのでご覧ください)

さて、クラシック音楽の歴史を語るとき、「天才」という言葉がこれほど似合う人物は、おそらくヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトをおいてほかにいないでしょう。わずか35年という短い生涯でした。しかし、その間に残した作品は交響曲、協奏曲、室内楽、ピアノ曲、宗教曲、そしてオペラと、ほとんどあらゆるジャンルに及びます。しかも驚くべきことに、モーツァルトの音楽は270年近くを経た現在でも世界中で演奏され続けています。なぜモーツァルトは、これほどまでに「天才」と呼ばれるのでしょうか。

■ 神童モーツァルトの誕生

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは1756年1月27日、現在のオーストリア・ザルツブルクに生まれました。今からちょうど270年前となります。父レオポルト・モーツァルトは宮廷音楽家であり、優れた音楽教育者でもありました。そして幼いモーツァルトの才能は驚異的でした。3歳頃から鍵盤楽器に興味を示し、5歳頃には作曲を始めたとされます。父レオポルトはその才能を見抜き、姉ナンネルとともにヨーロッパ各地へ演奏旅行に連れて行きました。少年モーツァルトは王侯貴族の前で演奏し、即興演奏まで披露しました。現在なら「天才少年」として世界的ニュースになっていたことでしょう。

この長い旅行は単なる演奏旅行ではありませんでした。各地の音楽家と出会い、イタリア、フランス、ドイツ、イギリスなどの異なる音楽様式を吸収したことが、後のモーツァルトの音楽を形づくる大きな財産となったのです。

■ ザルツブルクからウィーンへ

成長したモーツァルトは、ザルツブルクの宮廷に仕えました。しかし、自由な創作を求める彼にとって、宮廷音楽家という立場は窮屈なものでした。やがてザルツブルクを離れ、1781年頃からウィーンを活動の中心とします。これは音楽史上でも重要な出来事でした。貴族や教会に雇われる音楽家ではなく、自分の演奏、作曲、出版、弟子への指導などによって生活しようとしたからです。現代風に言えば「フリーランスの音楽家」として生きようとしたのです。

■ あらゆるジャンルに傑作を残した

モーツァルトの驚異的なところは、一つの分野だけに秀でていたのではなかったことです。交響曲では第38番「プラハ」40番、第41番「ジュピター」。ピアノ協奏曲では第20番、第21番、第23番など。オペラでは『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『コジ・ファン・トゥッテ』『魔笛』。宗教音楽では『レクイエム』など多くの分野における名作を遺しているのです。室内楽では弦楽四重奏曲や五重奏曲、そしてクラリネット五重奏曲など、現在でも演奏会の中心となる作品を数多く作曲しています。さらにフルートの世界にも、フルート協奏曲、フルート四重奏曲、そして有名な「フルートとハープのための協奏曲」などがあります。モーツァルトは特定の楽器や形式だけの作曲家ではありませんでした。人間の声からオーケストラまで、それぞれの特性を瞬時に理解し、それを最も美しく響かせる方法を知っていた作曲家だったのです。

■ モーツァルトの音楽は、なぜ美しいのでしょうか

モーツァルトの音楽を聴いて最初に感じるのは「自然さ」です。旋律がまるで水のように流れていきます。難解なことをしているようには聞こえません。ところが楽譜を詳しく分析すると、和声、対位法、構成、楽器の組み合わせなど、極めて高度な技術によって作られていることが分かります。つまり、「難しいことを、難しく聞かせない」ところにモーツァルトの偉大さがあります。明るい長調の音楽の中に、ふっと悲しみが顔を出すことがあります。反対に、深い悲しみの中から突然光が差すこともあります。喜びと悲しみ、笑いと涙、優雅さと孤独。人間が持つさまざまな感情が、一つの作品の中で自然に共存しています。これこそモーツァルトの音楽が時代を超えて人々の心を捉える理由の一つでしょう。

■ 「一切書き直さなかった」という伝説

モーツァルトについては「頭の中ですでに曲が完成していて、それを楽譜に写しただけだった」「自筆譜にはほとんど訂正がない」という逸話がよく語られます。そこから、「天から降りてきた音楽を、そのまま五線紙に書き取った」とまで表現されることがあります。確かに、モーツァルトが驚異的な速度で作曲し、非常に整った自筆譜を残したことは、彼の非凡な才能を示しています。ただし「一切書き直しをしなかった」というのは、少し伝説化された表現かも知れません。現存する自筆譜を見ると、訂正、消去、加筆、書き換えも存在します。つまりモーツァルトも、頭に浮かんだものを何も考えず書いていたわけではありません。驚くべき音楽的構想力を持ちながら、必要なところでは推敲する作曲家でもあったのです。むしろ、その事実を知るとモーツァルトの天才性が一層身近に感じられるのではないでしょうか。

■ 2026年、未知のモーツァルト自筆資料が発見される

そして2026年、モーツァルト研究に大きなニュースがありました。それはフランス国立図書館(BnF)で、これまでモーツァルトのものとは認識されていなかった44ページの音楽帳が発見・鑑定されたのです。資料は1778年、22歳のモーツァルトがパリに滞在していた時期のものとされています。

モーツァルトは当時、ギーヌ公爵の娘マリー=ルイーズ=フィリピーヌ・ド・ボニエール・ド・ギーヌに作曲を教えていました。この音楽帳には作曲の練習課題とともに、フルートとハープのための7つの小品が含まれていました。筆跡などの研究からモーツァルトの手が確認され、ザルツブルクのモーツァルテウムの専門家によっても鑑定されました。これは単に「未知の曲が見つかった」というだけではありません。モーツァルトがどのように作曲を教えていたのかを知ることのできる、極めて貴重な資料なのです。

そしてフルート愛好家にとって興味深いのは、そこにフルートとハープの音楽が残されていたことです。同じ1778年のパリ滞在中には、現在も名曲として親しまれている「フルートとハープのための協奏曲K.299」も書かれています。250年近い時を経て、モーツァルトのフルート音楽に新たな光が当たったことになる画期的な発見だったのです。

■ 音楽史に残した最大の功績

モーツァルトの功績は、単に「美しい曲をたくさん作った」ということではありません。18世紀の古典派音楽が築いてきた形式を受け継ぎながら、それを最高度に洗練させました。さらにオペラでは、それまで類型的に描かれることも多かった登場人物に、生身の人間としての喜怒哀楽を与えました。『フィガロの結婚』や『ドン・ジョヴァンニ』を聴けば、登場人物一人ひとりが音楽によって性格を持ち、呼吸し、悩み、恋をしていることが分かります。そしてモーツァルトが築いた音楽的成果は、後のベートーヴェンをはじめ多くの作曲家へ受け継がれていきました。古典派音楽を完成の域へ高め、次の時代への扉を開いた人物の一人だったのです。

■ 35歳で突然閉じられた人生

1791年12月5日、モーツァルトはウィーンで亡くなりました。わずか35歳でした。死の直前まで作曲していた『レクイエム』は未完成のまま残されました。映画「アマデウス」でもこの未完に終わる「レクイエム」作曲のシーンが印象的に描かれています。もしモーツァルトがベートーヴェンのように50代、あるいはハイドンのように70代まで生きていたなら、どのような音楽を書いたのでしょうか。音楽史そのものが違った姿になっていたかもしれません。しかし35年という短い人生でも、モーツァルトは十分すぎるほど大きな足跡を残しました。

■ モーツァルトは天からの音楽を楽譜にした⁉

モーツァルトを「天才」の一言だけで片づけてしまうのは、少し惜しいように思います。幼少期からヨーロッパを旅し、さまざまな音楽を聴き、吸収し、演奏し、そして膨大な作品を書き続けました。生まれながらの才能に加えて、幼い頃から積み重ねた圧倒的な音楽経験があったのです。それでも、彼の楽譜を見ていると「この旋律は本当に人間が考えたのだろうか」と思わせられる瞬間があります。だからこそ後世の人々は、モーツァルトについて「天から降りてきた音楽を五線紙に書き留めた人」と表現したくなるのでしょう。1756年にザルツブルクで生まれた一人の少年が残した音楽は、270年後の現在も世界中で鳴り響いています。そして2026年になってなお、新しい自筆資料が発見され、新しいモーツァルト像が見えてきました。モーツァルトは過去の作曲家ではありません。演奏されるたびに新しく生まれ変わり、聴く人の心の中で今も生き続けている作曲家なのです。

柳山

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