私の住んでいる町で「宝くじ まちの音楽会」が開かれることは、9月9日のブログで既に紹介した。町内で活動しているいくつかのコーラスサークルの有志50数名が岩崎宏美・岩崎良美姉妹と2曲共演し、私もそのメンバーに入っていることも書いた。
9月末に、有志の共演者を対象にした第1回の練習が顔合わせも兼ねて行われた。その際、譜面の他に役場の担当課で作成したA4判1ページの資料が配付された。これは共演者向けに開催内容をまとめたレジュメのようなものであるが、一応は公文書の体裁をとっている。練習の前に何気なく読み始めると、冒頭に記されている音楽会開催の趣旨がいきなり気になった。以下のとおりの文章である。
[○○町(註:固有名詞は一応伏せておく)では、音楽文化の向上及び普及を図ることにより、音楽によるまちづくりを推進し地域の発展に寄与するため、また、令和7年度に合併70周年を迎えることから、記念事業として「宝くじまちの音楽会」を開催します。
本事業は、多くの町民に質の高い音楽に接する機会と合唱活動を行う町民にとっては舞台発表の経験を得て、今後の活動の発展と町が目指すまちづくりの一助となることを期待し開催するものです。]
この後は、公演名、集合時間・出演時間、曲目、注意事項等が箇条書きにして続いている。
さて趣旨の文章について忌憚なく言わせてもらうと、まず一つのセンテンスが長すぎる。400字程度の文字数でセンテンスの数はわずか二つだけである。これは明らかに諄い。そして段落も同じく二つ。これでは段落の意味があまりない。論旨の展開がスマートとは言えないのではないか。
私の考えでは、最初のセンテンス(段落)は二つに分けられるだろう。町が音楽のためにやってきたことを述べるセンテンス、これを受けて今年はこの音楽会を開催することを述べるセンテンスという感じに持って行く。2番目のセンテンス(段落)も、音楽会の観覧者と出演者が無理にくっ付けられているように見える。だから、繰り返し読むと言葉足らずであることに気づく。これも切り離してみる。そうすると、例えば以下のとおりになるのではないか。
[○○町は、音楽文化の向上及び普及を図ることにより、音楽によるまちづくりを推進し地域の発展に寄与してきました。ついては、令和7年度に合併70周年を迎えることから、記念事業として「宝くじまちの音楽会」を開催します。
本事業は、多くの町民に質の高い音楽に接する機会となります。また、出演する町民にとっては舞台発表を経験することにより今後の活動がますます盛んとなり、町が目指すまちづくりの一助となることが期待されます。]
センテンスを短くしただけでも文章がすっきりして分かり易くなったのではないか。
さて、何故このような話題を持ち出してきたのか。人が真面目に書いたものの揚げ足取りをして何がおもしろいのか。そう非難したくなる御仁がいるかもしれない。
実は大学事務員として37年間務めてきて、そのかなりの時間をこんな綴方(つづりかた)教室みたいなことに割いてきたからである。大学事務という仕事は何をやるにしても作文することがかなりを占める。その素案が打ち合わせや委員会などの過程で少しずつ修正されて完成していく。趣旨は何も変わらないが、言い回しだけは上司によってこねくり回されることもしばしばあった。私立大学ではあるが税金で賄われているので実体は公的な教育機関やお役所と同じである。そこで働く職員の意識は役人とほとんど変わらない。そして役人というものは本当にこういうことが好きである。それで給料をもらい飯を食っている。
まだ若かった昭和の頃、ある大きな事業を計画することになって、その概要のたたき台作りに関わったことがあった。いろいろな協議や検討のプロセスが何度も繰り返されたが、一番ストレスが溜まったのは事業の目的(趣旨と同じ)のところだった。そんなことより、個別の項目についてしっかり議論した方がいいのではないかと思っていたのだが、目的を記述したところの文言の修正が何度も繰り返された。ワープロがまだ普及していなかったので、何回も原稿を書き直して忙しい時間を取られた。そこでお役所の重箱の隅をつつくような綴方教室の実態を知ったのである。
それから平成の時代になって、同じような事業が新たに計画され、前回関わった経験のある私が再び担当の一人に指名された。計画の策定にあたって、目的の文案作成で以前と同じようにまた何度も文言の練り直し作業があるのかと、私は嫌な気持ちになった。ワープロが普及していて文案の修正自体は楽になったが、再び言葉尻を捉えた議論に立ち会わなければならないだろうと思い込んだのである。
私が最初に作る目的の文案なんて、どうせ最終的には跡形もなく弄くり回されてしまうのだから、やっつけ仕事のように適当に書いておけばいい。その方がかえって私自身のストレスも溜まらないだろう。そんな投げやりな考えで、前回の文章に今回の新たな趣旨を安直に付け足すようなやり方でとりあえずのたたき台の文章を拵え、その後の打ち合せの際に提出した。そうしたら、何とそのまま私のたたき台が一字一句加筆訂正されることなく通ってしまい、その先の委員会でも承認されてしまったのである。これには驚いた。HPなどの外部にも公開され、いつまでも残されるような代物の文言である。
時代は変化していたのか。そんな総論的な能書きに時間を割くより、具体的な各論を詰めいくことの方が重要だと関わっている者が認識していたからかもしれない。バブルもとうにはじけて暢気なお役所的雰囲気も徐々に萎んでいったこともあるだろう。そんな訳で私も現役時代はいろいろな綴り方の経験をさせてもらった次第である。
さて音楽会の話題に戻ると、この趣旨の文章を読みながら、上述したような経験が俄かに思い出され、心の中で笑ってしまったのである(役場のこれを書かれた真面目な担当者の方には失礼かもしれないが)。
ついでに言うと、一つのセンテンスを長ったらしくすることに対して、役人は何ら躊躇いを持たない。それで分かりづらくなっても一向に平気である。いやその冗長さに自己満足すら覚えるかもしれない(これは言い過ぎか)。法令関係の文章などがその典型であろう。意図的にそうしているのではないかと勘繰りたくもなる(これも言い過ぎか)。
50数名の有志メンバーの中で、趣旨を読んで私と同じような感想を抱いた方はどれくらいいただろうか。多分私以外はみんなスルーしたことだろう。能書きはあくまでも能書き。そんなことより、音楽会というものはやる方も見る方も楽しかったと思えばそれだけで充分なのである。
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