クレーマー的性格について
川柳仲間にクレーマーがいた。市役所などに電話してよく文句を言っていた。そしてそれを自慢気に話していた。聞かされる方は、一応頷きながらも内心『よくやるよ』と半ば呆れることもしばしばだった。
当人は自分なりの信念や道理に基づいてクレームを発信しているのだろうが、どうも物事を冷静的かつ客観的に眺めよう...【続きを読む】
例幣使街道
栃木県には例幣街道が通っている。正式には日光例幣使街道というのだが、道路標識には日光が抜けている。Wikipediaを読むとこう書かれている。長くなるが引用する。
「日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)は、江戸時代の脇街道の一つで、徳川家康の没後、東照宮に幣帛を奉献するための勅使(日光例幣...【続きを読む】
一級河川・二級河川
電車でも車でもあちこちいろいろなところへ出かけて、いろいろな川を橋で渡る。河川表示の看板を見ると「一級河川 〇〇川」と書かれているのがほとんどである。一級があるなら、二級、三級もあるのではないか。昔の清酒やウイスキーにはそういった格付け(確か特級というのもあったが、三級はなかったか)があったので、...【続きを読む】
今にして思う手内職について
以前に「ただいまぁ!」 | (2021年7月12日)というブログを書いたが、我が家の母親の内職仕事のことについてふれてみたい。
記憶を遡って辿り着く最初の内職は、まだ私が小学校に上がる前、麻縄で下駄の鼻緒を作っていた。栃木県は大麻の産地なのでその麻を原料にした麻縄づくりが地場産業になっていたの...【続きを読む】
柿食えば…
私の家の裏庭(そうは言っても大した広さではないが)に柿の木が1本生えている。おそらく私と同じくらいの年齢、還暦を過ぎているのではないか。毎年、50から60個ほど、いやそれ以上の数の実を生らせてくれるが、振り返ってみると、私と柿の実との付き合い方にもそれなりの変遷があったようである。
子供の頃の贅...【続きを読む】
アンサンブルの思い出
私の家では、毎日食べる米は米屋で買うのではなく親戚からずっと玄米1年分を買っていて、それを精米しながら炊いていた。
きっかけは私が小6の昭和43年の時である。庭先に車庫を建てることになった。その工事で出入りしていた作業員の一人が兼業農家で母親の遠い親戚にあたることが判り、玄米を売ってくれることに...【続きを読む】
牛乳とヨーグルト
子供の頃は配達された牛乳を毎朝飲んでいた。我が家は両親と姉と私の4人家族。姉は牛乳が何故か嫌いだった(多分70歳近くになる今もそうだと思う)。1合180CCの瓶入り牛乳を1本、同じく小さな瓶入りのヨーグルトが毎日早朝に我が家の軒先に配達されていた。冷蔵庫など一般家庭にはまだ普及されてなかった時代、...【続きを読む】
大学5年生
舟木一夫のヒット曲に「高校三年生」というのがあるが、私の人生には「大学5年生」という経験がある。自分の過去を振り返って、この1年間が無駄だったかそうでなかったかと、折にふれて考えることがあった。
大学4年の時に、このまま卒業することにどうしても自分が納得できず、卒論だけを残して1年間自主留年をす...【続きを読む】
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