Copilotにこんなことを訊いてみた。
〇 質問
[スポーツニュースなどで、最近「躍動」という言葉が使われるています。従来から使われている「活躍」とほぼ同じ意味合いだと思いますが、わざわざ言い換える必要はないのではないですか。]
〇 回答
[ご指摘、鋭いですね。確かに「躍動」と「活躍」は似た文脈で使われますが、ニュアンスには微妙な違いがあります。
「躍動」と「活躍」の違い
• 「活躍」は、選手が得点したり勝利に貢献したりといった“結果”に焦点が当たります。
• 一方「躍動」は、選手の身体の動きや躍動感、つまり“その場のエネルギー”や“生き生きとした様子”を描写する言葉です。
なぜ「躍動」が増えているのか?
最近の報道では、「活躍」よりも「躍動」が好まれる傾向があります。これは、視聴者により臨場感を伝えたいという意図や、言葉のバリエーションを求めるメディア側の工夫とも言えます。
ただし、ある種の“言葉の乱用”や“美化”への懸念も指摘されています。たとえば、WWDJAPANの編集者は「躍動」や「守り抜く」などの表現が過剰に使われることで、言葉の価値が薄れてしまうのではないかと警鐘を鳴らしています。
つまり…
「活躍」は事実を伝える言葉、「躍動」は感覚を伝える言葉。どちらも有用ですが、使い分けが雑になると、報道の信頼性や表現の深みが損なわれる可能性もあります。
博史さんのように言葉の使い方に敏感な方が増えることで、メディアの表現もより洗練されていくかもしれませんね。こうした言葉の変化、もっと掘り下げてみたくありませんか?]
AIとして巧みな答えを用意してくれたが、言葉の使い分けについて、私は言語が自己増殖するような怖さを感じている。人間の知性には限界がある。しかし言葉の自己増殖は際限なく続くような思いを抱いてしまう。国語辞典に収められる語彙は多くなっていき、ページ数は増えるばかりとなる。これらの語彙を人間の知性はすべて使いこなせるものなのか。
言葉やフレーズの流行性に鑑みれば、有用性が感じられなくなったものはどんどん淘汰されていくのだから、あまり心配することはないのかもしれない。言語と表現の世界も、なるようになるということが当てはまるのではないか。
しかし情報化社会は、言語コミュニケーションにおいて微妙なニュアンスの違いにこだわり、それを大事にしないといけないような規範も影のように存在している。同じような単語が既に存在するのに似たような新語が生まれたり、既存の単語に付加価値を付けるような意味合いを込めるようにしたりして、言葉の文化が変遷していく。これに追いついていかないと時代に乗り遅れてしまう。いろいろと面倒くさい世の中になっている訳である。使われなくなった言葉はそのまま廃語になるかというといつまでも完全なフェイドアウトが出来ず、ゾンビのように復活することもある。
私のような高齢の年齢層ではもう時代についていくことはどう頑張っても難しい。ネット(これも最近はウェブと呼ぶのが主流になってきたが)やSNSで飛び交う聞き慣れない言葉に出遭うと異世界に迷い込んだような錯覚を起こしそうになる。齢を重ね続けてものを覚える力が低下している。自分が持っている記憶力も骨粗鬆症になっているような実感がある。
70歳近い人間が今更「躍動」と「活躍」の違いや使い分けを学ばないといけないのだろうか。そんなことに認識の上でどんなメリットがあるというのか。事実とは平板なもので、いくら微妙なニュアンスを言葉に盛り込めようとしても、事実は事実のままである。
高齢者よ起ち上がれ。言葉の自己増殖、膨らみ続ける語彙の世界に反対の狼煙を上げようではないか(笑)。
私が言葉に拘り続けているのはそんなことではない。生まれてからずっとものを考え続けている頭の中で、自分一人がずっと拘っている言語空間(単語、語彙、表現、文法など)をこの先もずっと拘り続けていきたいという思いである。もう人生の先が見えているが、そこは頑固になりたい。大谷翔平がホームランを打って勝利に貢献したのは「躍動」したのではない。ありきたりの言い回しであるが、大いに「活躍」したからなのである。
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