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 私が生まれ育った町には、かつてそれなりに賑わっていた商店街が一応は存在していた。歳末商戦とか福引セールとかがあって、活気に満ちていた風景が脳裡に残っている。今は見る影もない。
 当時の商店街には本屋とレコード店がなかった。本とレコードを買おうとするなら、隣り町の栃木市や宇都宮まで出掛けなければならない。田舎というのは実に不便なものだと劣等感を抱きながら青春時代を送っていた。両者が登場したのは、私が東京の大学生になってからの昭和50年代だったと朧げに記憶している。レコード店はもう20年近く前に閉店となった。本屋の方は同じ時期に郊外のバイパス通りへ移転した。時代の移ろいとはこんなものであろ。我が町と同じような現象は他所でも多分起きているはずだ。
 本屋について言えば、最近の新聞報道などで図書館も書店もない市町村が増えていることが伝えられている。本に親しむ機会が減れば活字離れが一層進む。淋しい話題である。大学生の頃、授業の帰りには早稲田通りの古本屋や駅前の書店を必ず覗いていたが、実を言うと私はあちこちの公共の図書館にもよく行ったものだった。今では信じられないかもしれないが、市区町村が設置した古くからある図書館の中には食堂が設けられていることが珍しくなかった。メニューは大したものではなかったが、簡単な調理をしてカレーや丼物、麺類などを安価に提供していたのである。利用者は大体が一人で食事していた。図書館という落ち着いた雰囲気の一角にさほど賑わってもいない食堂がある。振り返ってみると、それなりの絵になっている長閑な景色だった。
 書店が減っていく現状を何とかしようという国や地方自治体の動きがあるが、はっきり言ってこれは難しいことだろう。ネットを中心にした情報化社会になってしまったのだから、今更昭和時代のような感覚に戻せる訳がない。江戸時代の人が1年で入手する情報量を現代の日本人は1日で得ているというような話しを聞いたことがある。ほとんどが紙媒体以外からであろう。ペーパーレス社会が進行すれば、情報入手はさらに安直さを増し、紙に拘れば残念ながらアナクロニズムと言われかねない。
 地球の自転が1日24時間から36時間くらいにスピードが遅くなれば昼間の時間も増え、本を手にして読む時間が増えるかもしれない。そうでもない限り、世の中は慌ただしくネット社会のデジタル情報に搔き回されながら流れていく訳だから、読書時間はなかなか生まれないことだろう。
 レコードもなくなった。もはやCDも古臭い。流れる音楽もファストなものばかり。その反動で昭和歌謡が持て囃される訳である。書店の復活も、ネットへの反動ということなら少しは理解できる。レコード(昭和歌謡)も書店もアナログの反動文化としてならいくらか存続できるかもしれない。

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