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 この歳になってカミングアウトするのだが、私はカレンダーオタクである。そんな言葉は聞いたことがないと言われてしまいそうであるが、カレンダーに興味を持っており、家の部屋のあちこちにカレンダーを貼ったり下げたりするのが好きなのである。
 何故そうなのだろうか。若い頃、自分や家族のスケジュール管理をする際に、カレンダーを眺めて思いつくようにしていた習慣があった所為かもしれない。家の中では家族が集まる茶の間に一つあれば、そこに予定を書き込みしてそれで充分事足りるのではないかと考える人もいるだろう。しかし極端に言えば、私は風呂場やトイレにもカレンダーがあっても、邪魔に思わない。車のダッシュボードに小さなサイズのものをぶら下げていた時もあった。
 とにかく何気なくカレンダーに目をやれば何かに思い当たりそうなのである。そして写真や絵が載っていると、日付だけでなくそちらの方も興味を持って眺める。春夏秋冬の季節の移ろい、外国の風景など、そういった写真や絵を捲ってみるのがおもしろい。春の時期に9・10月の秋景色、11・12月の冬景色の写真を捲って眺めると、その頃の自分や家族はどんな感じで過ごしているのだろうと思いを巡らすこともある。だまし絵や隠し絵のクイズが載っていると必ず挑戦する。名言・金言も書かれてあれば一応は読む。大袈裟かもしれないが、脳への刺激にもつながる。
 そんな訳で一時期は家の中はべたべたカレンダーだらけだった。そしてそれを職場から調達していた。購買担当部門には、年末が近づくと出入り業者が持って来たたくさんのカレンダーが集まる。使い切れない数である。勿体ないのでもらって自宅に持ち帰る者は結構いる。私もそういう時期になると、丸まった何本かを頂戴してくる。既に家の中に溜まったものも含めて、毎年の12月30日の餅つきの日にカレンダーの新旧を交代させ張替え作業を行うことにしていた。
 退職してからは、カレンダーの入手がままならなくなった。お金を下ろしに銀行へ寄ることがあれば必ずもらうようにしている。知り合いで商売をやっている人がいれば、そのルートからも入手するようにしている。今年は何とか貼るべきところに去年同様の数を貼ることが出来た。来年はどうなることやら。わざわざ本屋などへ出向いて買い求める気にはなれない。何十年もただで入手していたので、今更お金を払うことには些かの躊躇いががある。
 さて最後にいつも感じていることを記してみたい。川柳でいろいろな公共施設を使って句会や勉強会をやっているが、施設内のどの部屋にもカレンダーが貼ってある。スマホの機能で日付のことはすぐ判る時代ではあるが、次回の日の確認などでやはり便利である。
 でもそういったところのカレンダーをよく見ると、会社や商店の名が切り取られている。これは日本全国どこでもそうなのではないか。施設と取引きしている出入り業者などが、年末の挨拶として持った来たものであるはずなのに、取引き先の名称を隠している訳である。そんなことをする必要があるのだろうか。そうしないと何か問題が起きるのだろうか。いつもそう感じていた。
 私の記憶では、平成の半ば、当時の厚生省の汚職事件からそのような切り取りが始まったのではないかと考えている。エリート官僚の収賄で、省内では取引き業者からのカレンダー一つの受け取りでさえも職員の間ではピリピリするようになったという新聞報道があった。たかがカレンダーでも誤解されないように会社名などを切り取るようになり、これが中央官庁のみならず全国の公共施設にまで広まったのではないか。
 一度そうなってしまうと、もう元に戻らない。切り取り作業は職員の年末業務の一つになっているのだろう。隠すことに今でも意味があるのか。はなはだ疑問である。

 

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