仏教についての基本的な知識を分かりやすく説いている大学の先生がいた。たくさんの著書を出版されているが、私は手にとって読んだことはほとんどない。しかし、いろいろな雑誌などで、身近な行事のこと(例えば、お彼岸・お盆・施餓鬼会などの由来)や、お釈迦様のいろいろな教え(例えば、色即是空・輪廻転生・煩悩・因縁・執着などの意味)について、丁寧に解説してくれていた。
我が家は某宗派のお寺の檀家で、本山からの会報や冊子などが定期的に郵送される。正直に言って、あまり熱心に読んではいなかったが、この先生の書かれたものがある時目に止まり、読んでいくと素直に頭へ入っていってなかなかおもしろい。なるほどと思う。熱心な信者ではないが、仏教の教えではこう考えるのかということが分かってくる。それでこの先生が書いたものは、他の雑誌や新聞などでも見つけたら必ず読むようにしていた。
それらの中で今でも強く記憶に残っている話題がある。仏教でいうところの苦について解説していたものである。これをいつものように分かりやすく丁寧に説明していた。
四苦八苦などというが、これは仏教から来ている。精神的、肉体的な苦について四苦と八苦、合わせて十二の苦が人間にはある。まっ、これ以上のことはネットで調べればすぐ分かるので、もう深入りはせず説明は省略する。
さて先生は、そもそも苦、苦しいとはどういうことなのか、それを仏教的な教えを踏まえて論じていた。一応国語辞書を繙くと、その意味・解説がいくつも書かれている。大方はこんな感じで書かれている。
1. 身体の状態や生活などが思わしくなく苦しい。
2. かなわない願いや悲しみ、後悔などで心が痛み、つらい。
3. 物事をするのがむずかしく困難である。
4. どう処理していいかわからない。困難なことがあってつらい。苦境にある。
5. 人に不愉快な気持を起こさせるさま。見苦しい。聞き苦しい。
6. 無理にととのえるさま。無理にこじつけるさま。
以上、自分の身体・精神、日常生活、生い立ち、恋愛行動、受験勉強、仕事・職業、さらに広く社会的な出来事など、苦と思われること、苦に通じることはあらゆる事柄に及んでいることに気がつく。それでは、これらに共通して現れる苦とはいったい何なのか?
先生曰く、「苦とは自分の意のままにならぬこと」をさす、と。例えば、怪我や病気をして痛い、すぐに治らない。貧乏で買いたいものがなかなか買えない。とんでもない親のもとで生まれ育って大変な思いをしている。好きな人がいるが気持ちを素直に伝えられず悩んでいる。第一志望の大学へいくら頑張っても入学できそうもない。会社でリストラされそうなのでどうしよう。これらに共通するのは、相手や対象が自分の思うとおりにならないから苦しい訳である。
それでは、苦を解消するにはどうしたらいいのか? 思い通りならないことを少しでも受け入れようとすると苦痛がいくらか和らいでいくことが分かってくる。これは自問自答の内面の世界である。自分の心の持ちようへ焦点が移ってくる。社会を恨んだり、他人へ八つ当たりしても苦は一向に減らないことに気がつく。
なるほどそうだ!と私は思わず頷いてしまった。うまいことを言うなぁ、仏教の考え方というのはすごいなぁ、と改めて感じた。
その時私は「手元不如意」という言葉を思い出した。家計が苦しくてお金が無いことを手元不如意などと言う。まさに手元(生計を立てるお金)が意の如くならずである。だから経済的に苦しい。お金がたくさん入ってくれば意の如くになり苦しくなくなってくる。それでは自分の意の如くになるとはそもそもどういうことだろうか? 何事も努力・精進すればそれに近づく(お金が入ってくる)ことが可能になるのだろうけど、それですべてが達成する訳ではない。結局は心の持ち方(意識・認識の転換)へ行き着く。現実(お金があまりないこと)を素直に認めて一旦それを受け入れ、それから何かを始めようとしたらどうか。そうすると自分の心の中で少しずつ整理されて分かってくるものがあるのではないか。欲張り過ぎていた自分に気がつくとか、考え直してみると実はお金があまりないことは本質的な問題ではなかったとか。こういった認識を新たにするだけで一つの前進になるだろう。苦は少しでも軽減されると思う。
先生は既に亡くなられてしまったが、実に素晴らしい方だった。ある時、何かの雑誌で仏教以外のエッセイを書いていた。読み始めると、いかにも仏教を説いて実践しているこの先生らしい体験が載っていた。
先生は、頼まれればいろいろな所で講演をしていた。その度に講師として謝礼を貰う訳だが、お金にはあまり頓着しないらしい。いただいたものは、大して中身も確認せず自分の家のクローゼットに放り込んで仕舞っていたようだ。ある時、泥棒に入られた。そしてお金はそっくり盗まれた。総額で1000万円単位のものだったらしい。正確に数えて管理していた訳ではない。そしてこのことをエッセイで恬淡として語っていたのである。仏教を学問的に極めれば、出家したり入信したりするのではなくても、その教えのとおり生きられることを私なりに理解した次第である。
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