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 漢字の使い方は難しい。例えば「かたい」には、「堅い」「固い」「硬い」の三種類の表記がある。これをどう使い分けするか。ネットを調べれば「堅」「固」「硬」の意味合いの違いが詳しく説明されていて、なるほどとすぐに理解できるが、実際にこれをきちんと使い分けて文章を書ける人間がどれほどいるだろうか? 事程左様にはいかず意外と難しいのである。日本人の全てに国語学者的な素養があれば問題ないのだろうが、それは所詮無理である。厳密に使い分けなければいけないなら、他人から誤りを指摘されないように平仮名で書く、そういう人もいるだろう。私も面倒くさくなると平仮名表記にしてしまうことがある。
 そんなことを以前から思っていたら、少なくとも私にはマニアックに思える同音異義語に遭遇した。ロシアのウクライナ侵攻で、10月頃にロシアが予備役などに対して招集をし始めたことがニュースとなって報じられた。国外へ脱出する若者がいるくらいだから、私は「招集」は「召集」の誤記ではないかと初めは思い込んでいた。そこでこの二つの言葉の違いを調べてみると、前者は読んで字のごとく「(対等な立場で)招き集める」ことだが、後者は「天皇などの地位や身分の高い人が呼んで来させる」という意味らしい。天皇の国事行為としての国会召集、戦前の赤紙による召集令状などの印象が強い所為か、私には「しょうしゅう」と耳から入ってくれば、後者のイメージがすぐに浮かんでしまう。
 さてロシア軍の「しょうしゅう」は予備役などがメインなので、報道にあるとおり「招集」が正しい表記なのだろうが、先ほど少しふれたようにその実態を眺めてみると「召集的な招集」のように思える。実際、メディアにも一部混乱があるようで、すっきりとした使い分けがなされていないことが検索画面から浮き出ている。
 表意文字を使う言語のデメリットがここに現れていると思う。「かたい」の漢字の使い分けも勿論であるが、熟語の同音異義語でも、実はきちんと使い分けができるかというと、やはり文脈の中で考えなければいけないことが多い。そうなるとややこしい、難しい。素直に納得できない場合もある。
 かつて柳誌の編集で漢字の使い分けに詳しくそれを得意にしていた人がいた。「堅い」「固い」「硬い」の意味の違いを理路整然と話してくれた。一応納得してみせたが、「義理がたい」「手がたい」の「かたい」はどの漢字を使うのが正しいのか尋ねたら、いきなり考え込んでしまった。この「かたい」は比喩的な表現なのでなかなか難しい。一応辞書やネットなどでは両方とも「堅」の漢字を使っている場合が多いが、そうとも決めつけられないような気もする。無理をすることはない。平仮名にすればいいのかもしれない。
 他の例を挙げると、「捜す」と「探す」でも、その使い分けを深刻に考え始めると意外と悩ましく迷路にはまってしまう。辞書やネットなどの説明には限界がある。よろしかったら検索して意味や用法を調べてください。なるほどとその時は納得するかもしれないが、それらの記述では済まされないケースが実際の文脈や比喩表現の中で必ず出てきますから…。

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「招集」と「召集」”にコメントをどうぞ

  1. 橋倉 久美子 on 2022年12月18日 at 10:43 AM :

    漢字の使い分けって、国語のテスト問題には重宝で、「おさめる」(収める・納める・治める・修める)なんかはよく出題しました。
    半面「さがす」は、いかにもな解説も見ることがありますが、確固とした使い分けは義務教育レベルではなかったと思います。
    ちなみに私は、「捜す」の字面が好きではないので、基本的には「探す」を使っています。

    対義語で覚えるとわかりやすい場合もあって、「暖かい」の対義語は「寒い」、「温かい」の対義語は「冷たい」です。
    「今日はあたたかい」なら「今日は寒い」の反対だから「暖かい」、「あたたかい手」なら「冷たい手」の反対だから「温かい」を使うんだなと考えればいいわけです。
    さっきネットでちょっと調べたら、「かたい」もそれぞれ対応する対義語を、「固い」は「緩い」、「硬い」は「軟らかい」、「堅い」は「脆い」と解説しているところがありました。

    • 三上 博史 on 2022年12月18日 at 12:02 PM :

       久美子さん、お久しぶりです。まだ一度もお目にかかったことはないですけど(笑)。
       いろいろと細かなご説明をいただき、ありがとうございます。嬉しいです。
       嫌らしい反論めいたことを申し上げますと、世間の日本語表現は、国語教育をベースには動いていませんよね。中国から来た漢字と大和言葉の折り合いをどう着けるか、多分、これは永遠の課題、決定的な正解はありません。いや正解があったら、そんな規範に囚われて詩的な表現が出来なくなります。小説家や詩人、コピーライターは廃業になってしまいますか。
       言葉と表現は流行と誤用によって緩やかに変遷していますから、国語教育で教わった理屈は社会に出ればフェイドアウトされる運命を辿ります。
       SNSが浸透してきて、漢字表記が間違っていたり、文法的に文脈がおかしかったりと、そういったものがさらに氾濫していくでしょう。しかし、それでコミュニケーションに致命的な問題などあまり起きない。言語は呼吸している生き物みたいですから、息を感じている限り、何とか通じるものなのだと考えます。
       私は人一倍理屈っぽい性格で昔から国語(教育)大好き人間なのですけど、川柳を長年やっていて、国語(の規範)に対するアンビバレントな感情が膨らんできました。そして最近は、何につけ言語表現には寛容になってきた気がします。表記なんてどうでもいいじゃない、面倒くさければ仮名で書いたらどうなの、そんな感じなのです。
       

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