言語によって事象を表現しようとする場合、しばしば比喩という修辞技法を使う。これは文学的な言い回しだけでなく、硬い文章、例えば学術的な文章でも比喩は使われている。
「新型コロナウイルスの感染拡大によって医療崩壊が始まった」というような、新聞記事でよく見かけた文の中にある『崩壊』は比喩である。それは『崩壊』の本来の意味を調べれば、医療に使われる言葉ではないことが分かるからである。建築物や放射性同位元素が崩壊するなら分かる。いやそもそもは建築物などに使われていた『崩壊』が放射線という物理学の世界にも転用されたのだろう。そして今回のことで更に医療サービスにも転用される。転用とは比喩として用いることでもある。
こんなふうにして言語表現の世界を探っていくと、比喩なしで物事を表現することが如何に無理であることかが分かってくる。そして当初は比喩として使われていたものが、比喩ではなく直接的な表現としていつの間にか定着していく。
さきほどの『医療崩壊』の『崩壊』は、医療サービスの維持がどうにもならなくなってきたという意味であり、それに対する隠喩法を使ったものであるが、『崩壊』という印象の強い言葉を持ってきたことから誇張法という比喩でもあることが分かる。隠喩にはかなりの誇張的なニュアンスが含まれている場合が多い。
比喩なしの表現世界というものが一体あるのか。あるテレビ番組を観ていたら、著名な宇宙物理学者が、宇宙のすべて、森羅万象を数式で解きたい、それは可能であると信じている、と話していた。そして、番組の中で小学生から質問された「戦争をなくして世界を平和にする数式は将来的にいつか立てることが出来ますか?」という問いに「それは可能である」と答えていた。それはさすがに無理だろうと、すかさずツッコミを入れたくなったが、夢も希望もある小学生に「それは不可能です」と否定的に対応することには躊躇いがあったのではないか。だからそう答えたのだろう。
少し横道に逸れたので話しを戻すと、森羅万象を数式で解くことは、数だけで読み解くある意味で「数喩」(私の造語)という技法を使うことだろうか。いやそれは喩えるものと喩えられるものがあべこべになっている。森羅万象は数や数式だけで出来ているとこの宇宙物理学者は本気で考えているので、言葉で表現する場合の方が比喩なのではないか。そう言えるだろう。
NHKの「笑わない数学」という番組を観ていたら、数学の理論や新たな知見の名称は、そのほとんどがそもそも比喩で出来ていることに気がついた。つまり理論や知見の中身は数式だけで満たされているのだから、それらを括って言葉で表現することはそもそもが無理な訳である。何かに喩えた名称にせざるを得ない。さもなくばその理論や知見を唱えた数学者の名前という固有名詞を使うことになるだろう。自然科学の他の分野もこれと大体同様なことが言えるのだろうが、数学が一番顕著であると言えるか。
昨年から地元のコーラスの会に入って毎月楽しんで活動している。教えてくれる先生が高齢者である私たち生徒に対して、毎回優しく発声や歌い方を指導する。声の出し方、口の中の動き、お腹への力の入れ方など、上手に歌うためには頭の先から足の爪先までの感覚を大切にしないといけない。これは些か大袈裟な言い方だが、そういった感じの内容の指導がなされ、「なるほどそうなのか」と、いつも素直に納得しながら聞いている。
ある時気がついたのだが、先生の仰る言葉のほとんどは比喩で成り立っているではないか。頭の天辺から声が突き抜けるように歌ってください、などと言われる。これをまともに聞いて分かろうとしても無理があるかもしれないが、実際には自分の頭の中でそれなりに理解して言われたとおりの声を出そうとする。声楽の指導も数学と同じように理論的には言語を超えているのである。だから言語を使えばそれは比喩になるばかりとなる。「口を大きく開けてください」ぐらいは直接的な言い回しの指導であるが、言語化された指導内容はほとんどが比喩の世界である。もちろん、楽譜に基づいた理論的な指導もきちんと受けてはいるが。
日本では一応「言論の自由」が保障されているが、だからと言って何でもかんでも直接的な言葉で表現できる訳ではない。自ずと節度や良識というものがある。また暈した言い回しで言外の意味を汲み取らなければならない場合もある。政治家の発言、メディアの報道などには、回りくどい言い回しや婉曲表現が多用されている。これは政治やジャーナリズム特有の比喩的世界である。例えば政治家や役人の発言について、私は「政喩」と名づけたくなる。「記憶にない」は「知っているけど知らない」。「大変遺憾である」は「面倒なことを引き起こしてしまって内心私は困惑している」。このように本心を比喩に表現して自己を守ろうとしているのではないか。
「政喩」表現は、子供にはなかなか理解できない。大人へと成長する過程で学んでいく技法である。ただし、こういう勉強は文芸的な創作活動では一つも役に立たない。世の中も人間の心もそんな比喩で成り立ってはいないからである。事象をもっと根源的に探ろうとしてそれを独創的に表現するために比喩を用いるならば、それは人に感動を与える素晴らしいものとなる。
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