去年の7月18日に「霧の中の二人」 | 三上博史ブログ (shinyokan.jp)という文章を書いたが、その頃のことでもう一つ書きたいことがあった。
中学校に入って初めて英語を学ぶ。最初に習った言葉、中一の英語教科書(私の場合、確か三省堂の「ジュニアクラウン」だったか)の1ページ1行目にあったセンテンスは、「I have a book.」だった。2行目は「You have a book.」だったと思うが、これは記憶が少し曖昧である。次の段階になって疑問形を教わった。「Do you have a book?」である。これは分かった。次に出て来た「Do I have a book?」のセンテンスに当時の私は大いに戸惑った。こんな質問文があるのか。自分が本を持っているかどうかなんて、そんなことを実際に尋ねる奴がいるだろうか。変な質問形式だと感じた。
その後の中学英語についての文部省の指導方針で、実際の会話で使われないようなフレーズを教え込むことは止めようという動きが出てきたが、私の素朴な疑問に答えてくれるようなことだったので、なるほどそうだろうなぁ、と思ったものだった。
さて英語というものは日本語とは全然違う構文だが、単語の一つひとつはそれぞれ対応しているという思い込みが当時の私には強くあった。中一レベルの授業であったならば、この固定観念的な考え方はそのまま持っていても、学習する上ではそれほどの障害とはならなかった。
ところが中学2年になって、現在完了形(have+動詞の過去分詞)が出てきた。現在完了形には、継続、経験、完了の3つの意味があるということを習った。しかし、何で「持つ」という意味の動詞「have」を使うとそうなるのか、少なくとも私には全く理解を超えた「わけわかめ」(当時はこの流行語はまだなかったが)の代物だったのである。
そんな頃に、オランダのロックグループ、ショッキング・ブルーの「悲しき鉄道員」(原題:Never Marry A Railroad Man )がヒットした。ポップスのベストヒットがラジオでよく流されていて、テレビの化粧品のCMでよく流れていたジェリー・ウォレスの「男の世界」、レッドツェッペリンの「移民の歌」、シカゴの「長い夜」などとほぼ同時期にこの曲もよく耳にしていた。
この歌の冒頭に何と現在完了形が出ていた。「Have you been broken-hearted once or twice?」のフレーズで始まるこの歌詞について、深夜放送のTBSパックインミュージックで、山本コウタローがきちんと和訳してくれたのである。「あなたは一度や二度の失恋をしたことがあるか」。そうか、この場合は経験の意味の現在完了形なのかと素直に理解し、目から鱗が落ちるように現在完了形の謎が分かり始めた。単語対単語で逐一和訳しながら理解するのではなく、とにかく決まりごととしてフレーズを理解するのが英語なのだと悟って受け入れ始めたのである。さすが山本コウタロー、伊達や酔狂で一橋大学を出ている訳ではないなあと妙な感心をしたものだった。もっとも一橋大学がどういう大学なのかもよく知らなかったが…。
ついでに言うと、タイトルの中にある「Marry 」を当時の私は何と「Merry」と勘違いしていた。中二レベルで覚えた数少ない英語のボキャブラリーの中で「Merry Christmas」という言葉を知っていたからだろう。「Never Merry」は「決して楽しくはない」、だから「悲しい」のだと、そういう意訳がされていると私なりに解釈してしまったのである。これも山本コータローが「決して結婚するな」と適切に訳してくれた。「Merry」は形容詞、「Marry」は動詞、この違いすら当時の私は理解出来ていなかった。
なおこの曲の歌詞の続きを和訳して要約すると、「もしそうなら、いいアドバイスがある。鉄道員と結婚しちゃ絶対ダメ。彼は新しい列車のことしか考えていないから…云々」というようなものだった。当時の私には、分かったような全然分かっていないような…。しかしそんなことはどうでもよかった。ショッキングブルーは、この曲の前に「ヴィーナス」が大ヒットしていたが、私はアップテンポの「悲しき鉄道員」の方が好きだった。
さて、英文に並べられているそれぞれの単語というものは日本語の単語の一つひとつに必ずしも対応していないだけでなく、英熟語や慣用表現(当時こんな言葉は知らなかったが)もあることにやっと気づいてから、とにかく先生に教えられたことを素直に頭に入れていけば英語は何とかなるのだと分かってきたのである。もちろん英文法も重要であることは言わずもがなである。
3年生になって関係代名詞の「which」や関係副詞の「when」や「who」などが出てきたが、これなどは日本語の品詞にはない代物の典型で、理屈っぽく考えたら到底理解出来ない。現在完了形を学んでいたからこそ、そういう英語特有のものがまだまだあるのだと更に理解を深められたのだと、振り返って今でもそう思っている。
ちなみに英語には関係代名詞や関係副詞があるから文の構造がしっかりしているという側面がある。これらが存在しない日本語では、和訳する際にはその場その場で工夫しないと上手く日本語としてまとまらない。
でも30年前から川柳を詠み始めて気がついたのだが、関係代名詞みたいなものがあると文はしっかりした形のものになるかもしれないが、詩的な言い回しを思いつく場合には、そういった品詞がない方が好都合なのではないかということである。上手く説明することは出来ないが、詩的な表現(特に定型)の曖昧さ・多義性を醸し出す場合に日本語の構文(文型)や文法は、欧米の言語より重宝に出来ていると私は考えている。
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