子供が小さかった頃、小山にあるホームセンターへ車でよく出かけて行った。何かを買う目的で出向く時と、何も買わず子供を店内で動き回らせるだけの場合があった。要するに暇つぶしである。陳列棚を眺めながら、何かおもちゃみたいなものを買ってとせがまれる時もあったが、広い店内を単に歩くだけでも楽しい時間になるのである。そのあとベンチに座り自販機のココアか何かを飲ませてやると、それで小1時間ぐらいは潰せて、その後どこかでお昼を食べれば半日はあっという間に過ぎてしまう。
ある日、そのホームセンターへ行った帰り道、ゴルフ場が道路沿いにある長閑な道を走っていた。そうしたら前方をいきなり雉がとことこ横切ったのである。珍しいことなので、後部座席にいる娘に「雉がいるぞ、見てごらん」とハンドルを握りながら叫んだ。娘は雉の珍しさには大して驚かなかった。どこにでもいる鳥、鳩や鶏の親戚程度ぐらいの認識しかなかったのだろう。しかし自分なりに雉からすぐ連想して「おとうさん、桃太郎はどこにいるの?」と真剣に問いかけてきたのである。猿に犬に雉の三点セットが桃太郎の物語には出てくる。雉が現われれば、猿や犬は勿論、桃太郎も続いて登場してきてもおかしくはない。それが幼児の思考というものだ。私はそのファンタジックな発想にびっくりした。
娘夫婦が大阪に住んでいて、孫娘を連れてたまに栃木へ帰省することがあるが、いつも小山駅で出迎えてそれからかつてその雉が横切った道路を通って我が家へ向かう。孫娘は3歳になるが、いずれ桃太郎の物語も知ることになるだろう。あの道で、もし雉に再び出遭うことがあったら、同じことを言うような年齢になるのももうすぐである。30年近くの歳月の隔たりがあるが、そんな奇跡を待っている栃木のジイジである。
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雨ふり
神山暁美
もういいかい
小さなゆびのすきまから
くろい瞳(ひとみ)がのぞいている
まあだだよ
大きなからだをかくすには
せますぎる部屋のなか
もういいかい
もういいよ
きこえてくるのは雨の音だけ
うごいているのは
あみものをするママの手だけ
ドアのかげにも
椅子(いす)の向こうがわにも
パパはいない
「ママ、パパが見つからないの
ケータイでよんでみて」
カーテンのひだの中から
着(ちゃく)メロがきこえてくる
今、こどもの世界はこういう時代さえ過ぎました。果たして、雉から桃太郎に発展するでしょうか?栃木のジイジ、期待しないほうが良いかもしれません。もっと、とんでもないものに繋がるのを楽しみになさってください。
神山さん、ありがとうございます。
いい詩ですね。やはり、うまいわ。脱帽です。
お言葉は、孫との付き合い方の先輩として承り、肝に銘じます。