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 以前にも話したが、私は娘が生まれて約3か月後に母親となったばかりの妻を病で失い、その後当時61歳の私の父と母が3人目の孫になる私の娘を育てることになった。これについては、亡妻の両親ともいろいろ話し合いをしてそうなったものである。
 当時まだ生まれてようやく首が座ったぐらいの赤ちゃんである孫に対する父と母の育て方は、竹取物語に出てくる翁と媼とかぐや姫を連想するような感じがあった。
 父は警備の仕事をしていたが、こんな事態になったのですぐに辞めた。孫が大きくなってから、その子育てを振り返って最初の1年間、特に夏の暑さが大変だったとよく話していた。
 母の方は7人兄弟姉妹の2番目の長女(昭和3年生まれ)として育った。戦争中はB29を撃ち落とそうと竹槍訓練をさせられていた世代である。家は地主農家だったが、10歳そこそこで一番下の妹を負んぶして野良仕事をさせられたとよく言っていた。実の母親の体が弱く、慶応年間生まれの祖母から家事をいろいろ教わり、弟や妹に対して母親代わりのこともずっとしていたらしい。若い時分は農業と家事についてずっと苦労を重ねていた訳である。学校は義務教育しか受けていない。家庭のこと、家族のことをいつも中心的に担っていたので、二十歳過ぎてもなかなか嫁に行かせてもらえず、クラスで最後に結婚したのが自分だったと、まだ子供だった私の前で愚痴をこぼしたことがある。そういう生い立ちからなのかすこぶる気丈な性格だった。女だというのに滅多に泣かない。子供の頃、母の涙を見たことがなかった。
 だから、孫娘を育てる時は物凄い底力を発揮した。施設に預けることなどはもってのほかと、開き直って毎日24時間育児に邁進したのである。
 また母は戦争中の物資のない時代を経験した世代なので、何につけ物を大事にして使うのが当たり前、使い捨てというのを極度に嫌がった。食品を包むラップを一度使ってもまた洗い直して再利用するくらいだった。だから娘が赤ちゃんの頃のおむつも縫って作り上げた布おむつを使い、紙おもつは寝る前に一日1回使うだけだったのである。孫のための縫物もよくやっていた。いつも感心していたのは、孫を決して叱らなかったことである。辛抱強くいつも諄々と諭すように話して、言うことを聞かないからといってすぐに腹を立てるようなことは決してしなかった。
 3歳になっていよいよ保育園に入園することになり、その前に園長先生が家庭訪問する調査があった。玄関先で、それまでの育て方についてのいろいろな質問を母が受けるのを私も立ち会った。まず、誰が娘をこれまで育ててきたのかの質問があった。この児の母親は産んで間もなく亡くなって私がずっと育ててきました、と母が淡々と話すと、園長先生は絶句してしばらく沈黙の時間があった。今時そんな人がいるなんて信じられなかったのだろう。これは今でもはっきり記憶していることである。母は、古い考えと言われようが子供は3歳までは親の元で育てるべきだという固い信念を持っていて、0歳から保育園に預けるなんてとんでもなかったのである。昔の人間なのでこれは仕方がない。女の幸せは結婚して家庭に入り子供を産んで育てることだと疑いもなく信じていた世代なのである。入園しては毎日ご飯だけの弁当を欠かさず作り、夏でも冬でも、雨の日も風の日も自転車で送り迎えした。
 こういった環境の中で娘は小学校に入学する。教育のことは分からないと、子育ては父親である私の方にバトンタッチされた。私も開き直って、学校行事のすべて、授業参観、運動会、入学式・卒業式、これらすべてに参加した。周りが母親だけの行事にも踏ん張って出て行った。進学した高校は女子校だったが、高校行事にも女の園へ出掛けて行った。ちなみに高校の時の弁当は既に70歳を過ぎた母が毎日、一日も億劫がることなく作っていた。
 現在老母は93歳、医者にも通院せず、毎日簡単な料理を作って食器を洗い、夜には翌日の米を研いでいる。洗濯物を干したり取り込んだりもする。老いて毎年少しずつ今まで出来たことが出来なくなっているが何とか生活を送っている。毎日自分でタブレットのiPadを開いて、関西に嫁いで暮らしている娘夫婦の娘、つまり曾孫娘の成長した動画や写真を眺めながら楽しんでいる。たまにFaceTimeも使って曾孫に声をかけている。そういったことが生きがいになっているようだ。
 父は娘が大学2年の時に81歳で亡くなった。息を引き取る前に、内孫の孫娘がいたからこんなに長く生きられたと振り返るようにしてしみじみと話していた。
 母は開腹手術を4回経験している。切腹を何回もしたような痕が今でも残っている。私が生まれて2歳の時にまず胃潰瘍で胃の3分の2を切除した。その後、40歳頃に婦人科系の病気、60歳前に大腸のがん、その後それがもとで小腸が癒着して腸閉塞となった。いずれも入院しての大がかりな手術だった。これもその度に当人は大変な思いをした訳である。
 以前何かの時に、子供は3人欲しかったと母が話したことがある。しかし若くして胃潰瘍の手術を受け、それは断念したらしい。61歳からの孫の子育ては、3人目の子供だったのかもしれない、などと私なりに勝手に考えたこともあった。
 私は、父や母が私の娘を育て始めた61歳になった時、私の親は、自分には到底出来ない、今時の世間ではあまり例がないことをやってくれていたのだと改めて気がついた。もちろん感謝している。

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61歳からの子育て”にコメントをどうぞ

  1. 神山暁美 on 2021年11月6日 at 10:13 AM :

    お疲れさまでした。お母様に助けられながらも完璧な父親でしたね。感動しました。
    いま私も、自分の人生を悔いなく完璧に終えた気がしています。この先、静かな日々であることを願いつつ……。

    • 三上 博史 on 2021年11月6日 at 3:26 PM :

      神山さん、ありがとうございます。
      「完璧に終えた…」というのはまだ早いでしょう。

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