私の家は昔からあまりペットを飼ったことがない。金魚やハムスター程度が精々で、それ以外の動物、例えば犬や猫となると日々の世話が大変になるので飼おうとしなかった。ペットフード購入の経費も家計に直結する。そんな訳でペットとはあまり縁がない生活をずっと送っていた。
この先、私にどんな老後が待っているか(既にそうなっているかもしれないが)は予想できないが、おそらく何かのペットを飼うようなことはないだろう。いずれ賃貸の集合住宅に引っ越す予定なので、犬猫を飼うことはほとんど無理となるが、小鳥などの小さな動物でもおそらく私は飼わないと思う。
ペットと一緒に生活した経験があまりないと、ペットに対して一生懸命に話しかけている人たちを見た際、自分にはとてもそんなコミュニケーションは(気恥ずかしくて)とれないなあ(少なくとも人前では)と思ってしまう。ペットの可愛さ、愛くるしさは私にも充分理解できるが、動物に対する接し方は基本的に他人行儀のような向き合い方を超えられないのである(一度買ってみれば分かるとすかさず反論されそうであるが)。
ペットを飼えば、年金生活者の家計にもある程度の負担が生じる。これも無視はできない。ペットに癒やされるなら、自分で飼うより、他人様のペットに時々会うだけいいのではないか。それで満足した方がよさそうである。これならカネはかからない。ケチくさいことを言うようだが、そこら辺りは結構冷淡なのである。
以前テレビを観ていたら、ペットフードが産業として成り立つようになったのは昭和40年代の頃からだった、ということが業界の専門家によって解説されていた。確かにそのとおりだと思った。昭和30年代の高度経済成長が始まる前までは、ペットショップなどというものはあまり存在せず、ペットフードを売っている店もほとんどなかっただろう。大手のホームセンターやドラッグストアもまだ展開されていなかった時代だが、地方では少しずつスーパーマーケットは増えていった。でもペットフードはそこのスーパーの棚にも並べられていなかった。
それが高度経済成長期の真っ只中になると、ペットフードのニーズが俄かに高まり、いろいろな種類の商品が出回るようになった。それは何故か。テレビの専門家に寄れば、その要因として電気炊飯器に保温機能が付いたことが挙げられると説明していた。炊いたご飯が保温されるようになると、いわゆる冷や飯を犬や猫のエサに与えていたやり方がなくなってくる。だからペットフードをわざわざ買い求めるようになったというのである。
かつて犬や猫を飼っている家庭では冷たくなったご飯をエサとして与えていた。「ねこまんま(猫飯)」という言葉があるが、余った冷や飯に残った味噌汁をかけたものがエサとして与えられる。これがどこの家庭でも一般的な犬や猫の飼い方だったのである。ご飯が保温できるようになると、冷や飯の残りはなくなるのでペットフードを買わざるを得ない。これでペットフード製造が産業の一分野になったということである。並行してペットのブリーダーも事業として増えていく。
テレビを観ながらこういった時代の移り変わりを理解したが、当時の我が家には当てはまらないことだなとしみじみ思った。世間とのギャップを感じたのである。
さほど裕福でもなく質素に暮らしていた我が家では、冷たいご飯でも、それをしっかり残さず食べるのは当たり前のことだった。ご飯は炊きたての温かい方が旨いに決まっているが、両親はともに農家の出なので、お米に係ることはどんな扱い方でも決して粗末にしない。もちろんご飯は冷たくなっても食べる。これが我が家流である。保温機能付きの炊飯器に切り替えたのも世間よりかなり遅かった記憶がある。母親はおそらく保温しておく電気代を勿体ないと感じたのではないか。そんな考え方だから、冷たくても温かくても犬や猫にご飯を与えること、たとえそれが残飯と呼ばれようと人間の口以外のものに入るという発想がそもそもなかったのではないか。冷や飯イコール残飯というのはとんでもない価値観、残飯とはもう食べられない、食べたら体によくない饐えたものなどを意味していたのである。
電子レンジが一般家庭に普及し始めたのは昭和40年代半ば以降だったろうか。当初は庶民にはなかなか手が届かないような値段で販売されていた。しかしご飯もこれで温め直せば、炊飯器の保温機能など使わなくて済む。便利である。さらに余ったご飯を冷凍保存して、食べる際に電子レンジで解凍するという方法もある。
さて、こんな些細なことを長々書き進めてきたのは、私の育った家庭が世間の生活感覚や、大袈裟に言えば道徳観念とズレがあったことを言いたかったからである。物を粗末に扱わない。特に食べ物についてはあまり文句を言わず食べる。反抗期の頃は何につけ親に刃向かって、食事への不平不満もぶつけたが、今は子供の頃の地味な生活にすっかり戻っている。それで何不自由なく暮らして満足している。改めて振り返って、そのことは親に対して素直に感謝している。
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