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日本棋院の設立は1924年。後援者は大倉喜七郎。
市ヶ谷の日本棋院 現在
市ヶ谷(現在)

1950年、関西在住の棋士が、東京に偏った運営をしている日本棋院に態度を硬化させて「関西棋院」を立ち上げました。
現在の関西棋院 中央

関西棋院概要|一般財団法人関西棋院

その中心は橋本宇太郎本因坊でした。(この当時は本因坊戦の他にはタイトル戦はありません。)これが関西棋院創立への勢いになったのはまちがいありません。
日本棋院との協調派の棋士は「日本棋院関西総本部」を創りました。

1951年、橋本本因坊への挑戦者は日本棋院の坂田栄男7段でした。
日本棋院への本因坊奪還に燃えた坂田挑戦者は3勝1敗と本因坊を追い詰め,
もう奪還を疑はなかったという後日談もあります。

一方その第5局に臨にあたって橋本本因坊は記者のその問いかけに
「首を洗ってきました」と言ったとされる。

この覚悟の差なんでしょうか・・・第5局に勝利した橋本本因坊は第6局第7局も連勝して本因坊を死守しました。

このことによって「関西棋院」存続のその基盤が固まったともいえます。
ただ橋本宇太郎さんは後年分裂は大きな損失だったと回顧している。
(1994年87歳没。)

囲碁人口の推移/大会の中止。
1982年1130万人ともいわれた囲碁人口は現在130万人まで落ちたともいわれている。
私が若い頃出ていた朝日新聞主催の囲碁十傑選静岡県大会の地区予選(東中西)には
各地区200人くらいの参加者があったが、1982年をピークに年々参加者が激減していって朝日新聞社はこの十傑戦からもう十数年前に撤退。この十傑戦は消滅した。

静岡新聞社主催の「静岡県囲碁選手権戦」も、もう既に中止されている。

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