16日午前、北とぴあにおいて川柳あすか例会。
創作研究に先立って作句の基礎のうち「モンタージュ技法」の基礎とモンタージュ技法における言葉の構造の考え方。
映像の配置による映画のモンタージュをコトバのモンタージュに活かした場合について検証した。漫然とした言葉選びに意識が生まれたと思う。
その成果をもとに、参加者各位の作品作品の鑑賞と評を行う。
川柳が文芸として位置づけられるためには、何が必要なのかのヒントになったと思う。
午後の句会に出すつもりだった句を、今日の話で急遽推敲した人も出たとか。

16日午後は、同じ北とぴあで川柳誹風会例会。
柳話は、「AI時代の川柳の選句と作句」。
この2年で、AIによる川柳の作句は、劇的に進化。昨年の「いのちの川柳コンクール」および今年のオリックス「ぱぱまま川柳」を例として、AIによる作品の川柳選者および一般選者による評価傾向を分析、作品の完成度、表現力を確認した。
また、90000句に及ぶ公募川柳の公募データから、AI作品を選別する方法論などを具体的に検証してみた。
AI川柳作品の現状を知ることで、おおいに驚かされる部分があったが、この会の参加者の大部分は「誰のために作品を作るのか・・・」という問に「自分のために作る作品においてAIを使う面白みがない」という「作者意識」からの意見が多く出された。
久しぶりの和室での句会。
座ることに苦労しながらも、かつての句会の雰囲気を思い出し、単に「抜ける」ことのみを目的とする句会ではなく、作品の新しさを競った昭和の句会などを懐かしく話したりした。
AIは、時代の要請であり、生活を豊かにしてくれるはずだが、作者が創作として川柳を作る場合には、便利さが作者意識を疎外する方向へ向かわせるかもしれない。
そんなことを論じ合いながら、句会の課題吟を終え、場所を変えての二次会では、ビール片手に、先ほどの続きの川柳とAIの話や、明日の川柳家の在り方など、話のネタは尽きないままだったきないままだった。

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90000句からAI作品を選別する方法論の検証、興味深いですね。AIが選者をも欺く完成度に達しているとすれば、「選ぶ眼」そのものが問われる時代になっています。「作者意識」からAIを拒否する感覚は自然ですが、同時に川柳の何が人間にしかできないのかを問い直す機会でもありそうです。
一点私見を申し上げると、AIが作った川柳を読み取る能力がなければ「AIは作者以上に良い句は作れない」ということになります。いわゆる「ゴミを入れればゴミが出る」であり、作者の質が低ければどれほど高性能なAIでも結果は低品質になる。結果として質の高い作者とそうでない作者の差が絶望的に開いていく。これは川柳だけでなく、創作物すべてにおいて言えることでしょう。AIは時代の要請ですが、これほど作者の力量が問われる道具はないかもしれません。
そのとおりです。
AIは便利ですが、私ども作者は、既成の概念(つまり歴史となった作品)世界にとどまっていたのでは、創作という行為は不可能です。
創作のフロンティアたることを自負している限り、AIは、追いつけないでしょう。
ただ、それを怠けると、個別の作者にとっては、AIより発送、捉え方が遅れてしまうこともあるでしょう。
作者たるもの、常に新しい挑戦をし続ける使命がありそうです。
AIは疲れませんが、ニンゲンは疲れを知ります。
負けないようにいたしましょう。