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14日は、クレール世田谷中町の川柳講座。
江戸文化と川柳の話のあと、それぞれの創作の鑑賞と批評。
他者の句を聞くことで、その人の今の思いや、過去の生き様、価値観などが彷彿としてくる。
この句会では、句を競うことをしない。
それぞれが紡ぎ出した十七音を鑑賞、また、自分自身を表現することによって、その作品を聞いてもらうカタルシスがある。
月に一度の集まりに飽きがこないのは、毎回新鮮な気持ちで自句と向かい合い、また他者の句を味わっているからではないか。
競吟とは違う価値観の川柳があることを大切にしたい。

いよいよ明日は、5月15日・彰義隊忌。
久良伎翁の遺志を継ぎたい方は、13時に上野の西郷さんの銅像の後ろ、彰義隊墓所に献句を携えてお越しくださいませ。<彰義隊川柳供養>を行います。

 

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創作の楽しみ 老人ホームでの川柳会”にコメントをどうぞ

  1. 月波与生 on 2026年5月14日 at 9:44 PM :

    「句を競うことをしない」という句会の設計、興味深く拝読しました。昨今の句会は宿題に席題もあり、句会イコール競吟を楽しむ場として定着しています。それはそれで川柳の楽しみ方のひとつですが、競わないことで生まれる場の質もある。他者の句を聞くことでその人の生き様や価値観が彷彿としてくるというのは、競吟では生まれにくい体験ではないでしょうか。

    自句を聞いてもらうカタルシスという言葉も印象的です。勝ち負けではなく、表現を受け取り合う場としての川柳。そういう価値観が川柳の裾野を広げていくのだと思います。

  2. 尾藤 川柳 on 2026年5月14日 at 10:18 PM :

    ありがとうございます。
    与生さんは、「川柳はいふう」の創作に投稿してくださっていますが、句会における「競吟」以外の姿を知らなかったようですね。
    私どもは、「句会は、修練の場(すなわち、技術や物事の捉え方などを切磋琢磨して学ぶ)であり、表現は、創作にある」という風に習ってきました。
    久良伎-雀郎系の価値観です。
    少なくとも、東京の三大家の価値観として、「創作」が「句会吟」より重要視されていましたが、その弟子の弟子の時代となり、何時の間にか、句会という存在を継続することばかりに汲々とするようになり、創作は、句会吟の落ちたものを並べるといった者まで現れるようにもなりました。
    三柳は、創作ありきで、句会については自分の主宰する会以外は、「信頼できる選者」の居るところしか弟子に出世域を認めませんでした。
    私は、川柳研究句会と白帆句会のみ許されていました。
    句会は、選者次第ということで、私は伝統句会、例えば川柳きやり句会は許されませんでした。
    そのくらい厳しい制約をうけていました。
    老人ホームの句会は、競吟をしても無意味でしょう。
    長く人間をしてきた高齢の方が、今の自分を見詰め、過去を買い越し、また孫子の日常を読む世界では、競吟をするより、鑑賞を中心にすることが必要になるということです。
    川柳は、競吟だけでない世界になったのは、明治以降の進化です。
    こういった歴史性、川柳史観があって、はじめて競吟以外の表現世界が見えてきます。
    川柳は、360度の視野を持つことによって、初めて文芸としての理念を得ました。
    TPOによりモノサシも変えねばなりません。
    そこに選者の重要性が生じます。
    どうぞ今年度の川柳文化振興会の「選者養成講座」にお越しください。
    これまでに集大成された選者についての知見を共有し、さらに、これからの川柳の展開を考える柳人として御指導の一端を担って頂ければ幸いです。
    よろしくお願いいたします。

  3. 月波与生 on 2026年5月16日 at 8:16 PM :

    「選者養成講座」
    案内をお待ちしてます。

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