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 今でも記憶しているが、小学生の頃に国語の教科書で習った俳句作品のことである。

  「山路きて何やらゆかしすみれ草   芭蕉」
  「春の海ひねもすのたりのたりかな  蕪村」

 この2句の他に数句が紹介されていたが、それらはもう思い起こせない。そして1句目の芭蕉作品「山路きて…」の句は何となく理解できたのだが、2句目の蕪村作品「春の海…」は、小学校高学年の私には分かりづらかった。まず中七にある「ひねもす(終日)」が難しい。こんな言葉は初めて聞く。次に続く「のたりのたりかな」が句またがりになっていて、当時の私には、五七五になっていないじゃないかと思えたのである。「春の海_ひねもす_のたりのたりかな」という形で切れを入れて読み進めればいいのだが、杓子定規に考えてそれができなかった。
 俳句を小学校の国語の授業で初めて学ばせるには、蕪村の句はあまり適切ではない作品例を紹介していると、後から振り返ってしみじみ思ったものだった。
 俳句や短歌の初心者に対して、いきなり句またがりの作品を読ませるのは避けた方がよい。最初に定型のリズムを教え込むにはあまり相応しくない技法と言える。
 俳句は五七五のわずか十七音なので、句またがりになると作品全体が破調に思えるようなリズムに受け取られかねない。句またがりはいくらか勉強してから接する方が望ましいだろう。
 短歌作品は、中学・高校の古典の授業で習う文語体の万葉集や古今和歌集などの有名な作品を思い起こせば分かるように、定型をしっかり守っているものがほとんどである。いくらか字余り、句またがりになっていても、五七五七七の三十一音の一部分であるからある程度は納得できる。ここが俳句と少し異なる。
 ところが現代短歌の世界では、口語体が隆盛を極めていて句またがりを用いた作品が多く詠まれている。私はNHKの短歌番組の視聴者であり、かつ新聞文芸欄の短歌入選句もよく読む。口語や文語を問わず入選作品を味わっているが、口語短歌の句またがり作品についてかねがね感じていることを述べれば、新語・流行語・造語・外来語・略語が飛び交いながら情報化社会が急速に進展している状況に鑑みると、句またがりを抜きにしてもう口語短歌は詠めないのではないかということである。
 口語作品の短歌に接して初めて読む際に、川柳を本業とする私はどうしても弁慶読み(三十一音をきちんと五七五七七に区切って読む)になってしまう。読み返してやっと句またがりに気づくこともある。短歌を読み慣れていない所為もあるだろう。川柳と同じ十七音の俳句の句またがりは、川柳で既に馴染んでいるので短歌ほどの違和感は感じられない。
 改めて弁慶読み(別名ぎなた読み)を説明すると、「弁慶がなぎなたを持って…」という一文について、本来「弁慶が、なぎなたを持って」と読むべきなのに区切り方を間違えて「弁慶がな、ぎなたを持って」と読んだことに由来する。他の例としては「ここではきものをぬいでください」を挙げてみる。これの区切り方を変えれば「ここで_はきもの(履物)をぬいでください」と「ここでは_きもの(着物)を脱いでください」の二通りの読み方ができることが判明する。
 川柳の句会では、五七五のリズムを過度に重視して弁慶読みで入選句を披講されたら興醒めするという方が多い。私も同感である。例えば、拙句に「綿毛吹くいまだ寅さんにはなれず」というのがある。これを「綿毛吹く_いまだ寅さん_にはなれず」と几帳面に五七五に区切って読まれると、声には出さずとも心の名でブーイングしたくなる。「綿毛吹く_いまだ寅さんには_なれず」と五九三に分けて読むのが望ましい。
 数年前から地元のコーラスサークルの会員になって、いろいろなジャンルの歌を習っているが、日本の歌謡曲も弁慶読みみたい小節やフレーズのある歌が実に多い。その場合は弁慶読みならぬ「弁慶歌い」で歌うこととなる。
 赤い鳥が歌ってヒットした「翼をください」の2番の歌詞の歌い出しについて、「子供の時_夢見たこと…」が私には弁慶歌いに聞こえる。ヒットしていた当時高校生だった頃から、私の心の中でずっと引っ掛かっていた。1番の歌い出し「今_私の願いごとが…」がメロディーにすんなり乗っているのに対して、2番になると「こど_ものとき_ゆめみたこと …」と歌う。なんかしっくりしないなぁ…、そんな思いを抱いていたのである。
 それから20年ぐらい経って、NHKの朝ドラ「ひらり」の主題歌になったドリカムの「晴れたらいいね」が大ヒットした。ある飲み会の二次会のカラオケボックスで、酔いにまかせてこれを選曲してマイクを握ったら、自分でも呆れかえるほどうまく歌えなかった。難しい。弁慶歌いが何度も出てきている。
 昭和から平成の時代へと移った歌謡曲は、コーラスサークルで習う曲などの譜面を眺めると、弁慶歌いのみならず、小節の最初や途中に休符記号(8分休符など)が突如現れて歌い方が難しくなっているものも多い。今の流行り歌は、とにかく厄介な歌い方ばかりという印象を私は受けている。
 弁慶歌いの方は、明治期に西洋の音楽が入ってきて、一つの音符に歌詞の一つの音節を当てる歌い方が定着したことも影響しているだろう。中学・高校の頃、アメリカンポップスのレコードをジャケットの裏面の歌詞を見ながら怪しい(稚拙な)発音でよく歌っていたが、音符と音節の数が合っていないことが多く、よく面食っていた。
 日本語の単語の音節はほぼすべて開音節(母音のみまたは子音+母音)で成り立っている。一例として「猫」を挙げて発音すれば、[ne/ko]の二つの音節から成り立っているが、いずれも母音(eとo)で終わって開いている。ところが英単語の音節では閉音節(母音+子音または子音+母音+子音)が多い。「cat」は子音(c)母音(a)子音(t)で構成され、子音(t)で終わって閉じる一つの音節である。
 五線譜に歌詞を載せた場合、例えば日本語の歌は「猫」を「ね」と「こ」で二つの音符に分けることがあるが、英語の歌では「cat」を二つ以上の音符に分けることはあまりないのではないか(これは私の乏しい音楽の知識に基づくものではあるが)。
 「cat」は、日本語の文の中では「キャット」(catto)と開音節に変換(?)されるのが、正しい(?)発音である。日本語の場合、母音と子音の割合は、英語に比べて圧倒的に母音の方が多く用いられていることにも気づく。なお、ビートルズの「Let it be」のサビのところが日本人には歌いづらいのも、閉音節に馴染んでいないからであろう。
 弁慶読みに話しを戻すと、俳句でも川柳でも句箋などに縦書きする場合、1行にまとめるのが望ましいが、スペースの関係で3行にすることも多々ある。その際にはどうしても五七五の音数にこだわった弁慶読みの表記をする例をよく見かける。テーマ川柳の作品募集コンテストなどで入選作品をWebで読むと、ほとんどがそうなっている。弁慶読みもしぶとく生き残っているようだ(笑)。
 と、ここまで書いてきて、先月大阪万博へ行った際に買い求めた京都にある老舗煎餅店の醤油煎餅の一つを手に取り、その個包装に記された言葉を何気なく眺めていたら「春の海/終日のたり/のたり哉」と、しっかり弁慶読みの3行で印刷されているのに気がついた。

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句またがりと歌謡曲”にコメントをどうぞ

  1. 月波与生 on 2025年12月30日 at 7:53 PM :

    弁慶読みというのを初めて知りました。一日ひとつ新しいことを覚える、今日は◯です。ありがとうございます。歌謡曲の歌詞は桑田佳祐あたりからハチャメチャになったのでしょうがないかと、、、。ちなみにサザンオールスターズがデビューしたのは昭和53年です。
    披講を聞いてると何がなんでも575で読む人、いらっしゃいますね。私が聞いた人はすべて男性です。ポリシーを持っているというか融通がきかないというか、、、たぶん両方でしょう。こういう人はまず私の句なんか読まないので安心して聞いていられますが。

    • 三上 博史 on 2025年12月31日 at 9:37 PM :

       与生さん、コメントありがとうございます。
       五七五の定型しか川柳を認めていない輩を私は原理主義派と呼んでいます(◞‸◟(◞‸◟)。

  2. 鈴木 順子 on 2026年1月2日 at 12:15 PM :

    三上博史さん、多分初めましてですよね。
    宜しくお願いいたします。
    久し振りにブログ散歩をしています。弁慶読み、私も初めて知りました。
    私は講座で、句またがりは定型をしっかり学んでからとにしましょうね、と話しています。
    披講は難しいです。私は選者は会場の皆さんに試験されている、そんな気持ちで向き合っています。良い学びとなりました。ありがとうございました。

  3. 三上 博史 on 2026年1月2日 at 6:40 PM :

     順子さん、コメントありがとうございます。
     句またがりを詠めるようになるには、定型のリズムをしっかり学んでからという意見に賛成します。

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