私は日当たりがあまり良くない部屋で一日を過ごすこと、あるいはそういう日常生活を送ることが苦手である。窓があっても北向きしかない部屋にいることもあまり好きではない。住宅が密集していない田舎で生まれ育った所為もあるだろう。
東京での大学生時代、下宿選びに際しても日が射すかどうかをかなり気にしていた。東京の下宿は家賃が高い。日照時間について贅沢なことは言ってられないところもあるが、日当たりの悪い部屋に籠ることがとにかく嫌だった。そういう間取りは侘しく惨めに感じるものだった。3年生までは仕送りに占める家賃の割合を考えてさほど日が射さない四畳半で何とか我慢していたが、勉強以外の時はなるべく外出するようにしていた。4年生(5年まで大学に在籍して卒業)からは、家賃は少し高くなったが東と南に窓がある二階部屋に引っ越した。夏の暑さはとんでもなかったが、それでも日が射すだけで気持ちがいくらか救われたものだった。
37年間のサラリーマン生活で人事異動を何度も経験したが、窓の無い事務室で仕事に従事したことが若い時分に2年ほどあった。それ以外は概ね日が射す部屋で仕事をしていた。窓の無い部屋で勤務していた時は、日中の天気がどうなっているか皆目見当がつかない。これが堪らなく息苦しかった。トイレに行く時に外が見える廊下を通り過ぎるので、そこで何とか今の天気を確認するとほっとしたものだった。こんな性格の職員は職場で他にいただろうか。
情報処理を扱う部門のところは大きなコンピューターがいくつも稼働していて窓の無い部屋ばかりであった。打ち合せなどでよく出向いたが、こういった部屋では仕事はしたくないなあといつも感じていた。その代わりに空調はよく効いている。もちろんこれはコンピューター機器のためであるが、日射しをとるか空調をとるか、少し悩ましいところもあった。
ある時、地元の警察署へ出向かなければならない出張があった。用務を済ますと、その日は新たに完成した留置所のお披露目を兼ねて地域住民のために見学会を開催する行事と重なっていた。警察の応対者から私にも、ついでに見学していってはどうですかと誘いがあった。社会勉強にもなるので快く承諾し、建物内部を見て回りながらいろいろと説明してもらった。
鉄格子の個室がいくつも並んでいて、取調室にも案内してもらった。映画やテレビドラマなどで出てくる場面と全く同じで、妙に感心した記憶がある。しかし、どの部屋にも窓は全く無い。こんなところに閉じ籠るのか、閉じ込められるのかと思うと、私は心の中でため息が出た。こういった施設が窓を設けていない構造になっているのはセキュリティーの上で当然のことなのだろうが、それだけで私にはもう気持ち的に無理という感じになった。そんなお天道様大好き人間だから、地下鉄の乗務員、都会にある地下街の店員とかの仕事は向いていない。炭鉱夫やトンネル工事の作業員なども駄目だろう(もちろんそんな体力もないけど)。
現在はリタイアしてほとんど自宅にいる訳だが、我が家はどの部屋もそこそこの日当たりがある。これからの人生において窓の無い部屋に一日籠るようなことはないだろう。でも、なぜそんなことが気になるのか自分なりに改めて考えてみた。
太陽の動きで人間はある程度の時刻を認知し、それに基づいていろいろな段取りを考える。これは太古の時代からの本能的なものでもあろう。現代人はもちろん掛時計や腕時計(最近はスマホか)などでそれを確認しながら暮らしているが、時刻と季節ごとの日射し(太陽の動き方)には関係がある訳で、そういった時間的環境の中で人間はずっと生きてきた。その大事な日射しを削がれてしまうと精神的に不安定になってもおかしくはないのではないか。日射しの入らない竪穴式住居の時代、その住居は寝泊りするだけで、そこで一日仕事をしたり遊んだりすることはあまりなかったのではないだろうか。人間は太陽の位置関係の情報は体感的に常に把握しておかないと落ち着かなかった、気が済まなかったのではないか。辛抱が足りずいつも時間ばかり気にしている私は、太古の血を受け継いで(?)太陽の動きが人一倍気になる。だから窓の無い部屋は苦手なのだ。そんなことを思い知ったのである。
曇り空時間を食べるもの思い 博史
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