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 9月に再審無罪となった袴田事件のことは、今年の10大ニュースにおそらくランクインする話題になるだろう。それほど大きな衝撃を与えた出来事だった。
 平成26年に死刑及び拘置の執行が停止されて袴田巌さんが釈放された時から、これからどうなるのだろうと私はものすごく気になっていた。その後の進展はいろいろあったが、犯人かどうか、有罪か無罪かの決着より、そもそも再び拘置されることが有り得るのだろうかと、私はすごく考え込んでしまったのである。
 テレビのドキュメンタリー好きな私としては、この事件を取り上げた番組をいくつも視聴した。袴田さんが再び拘置所に戻ること、その可能性があることはどうしても想像できなかった。納得できなかった。50年近く拘置され、死刑執行がいつなされるか分からない日々を送る。こんなことは並の人間では到底想像できない世界のことである。拘禁症状も表れていて、当人の発言には事実とはズレたものが出てきている。通じない会話も多い。そんな状況の中でまた拘置する。さらには死刑を執行する。こういうことに一体どんな意味があるというのか、甚だ疑問に思ったのである。
 再審無罪に係るテレビや新聞の報道に接して、これは素直に喜ばしいことなのか割り切れない思いがあった。当人の喜びの表情はあまり紹介されていない。検察側の控訴断念のコメントを聞くと、証拠捏造と断定されたことへはしぶとく反論している。それは面子を潰されたことへの最後の抵抗、悪あがきなのだろう。静岡県警本部長が袴田さんの自宅を訪れて謝罪したというニュースも、どこまで本人に通じたのか、私は虚しさを覚える。
 無罪となった刑事補償が2億円を超えるとか、捏造による国家賠償も認められる可能性があるとか。ここらあたりの話題についても私は再び考え込んでしまう。袴田さんは元気だとはいえ、90歳近い。冤罪を訴えるために気力で生きてきた人生だったと思う。お金にどのような価値があるのだろう。
 10年前にやっと釈放された時、私は既にこう思ったのである。ここまで来たら司法判断にどれほどの意味があるのだろう。法律に基づいた手続きはもう止めたらどうか。法治国家とは何なのか。その考え方に限界はないのか。真実も捏造もない、有罪も無罪もない次元で考え直したらどうか。その場合には、裁判所、検察、弁護士の三者で法の概念を超えた議論を展開して新たな解決方法を見い出したらいいのではないか。法には無力な側面があることをまざまざと見せつけられた事件であるのだから…。

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