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 2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻から既に2年半以上が経過する。最近の話題は、中東におけるイスラエル軍のガザ侵攻の激しさに目が奪われてしまいがちである。他国同士の紛争や戦争(両者に決定的な違いがあるのかどうかよく分からないが)というものは、長引いて膠着化・泥沼化すると残念ながら話題性が乏しくなってくる。しかし新聞記事をつぶさに読めば、日々ロシアとウクライナが戦っている厳しい状況の推移に途切れはない。戦いによって建物は破壊され人間は死に続けている。
 この侵攻は、過去の事例を踏まえると起きる可能性が相当高いものであった。だから、やっぱりそうなったかと冷静に受け取る人も多かった。私もやばいなあと思いながら密かに予期していた一人だった。
 いざ侵攻が開始すると、テレビではいろいろな報道がなされたことは誰でも記憶しているだろう。ロシアやウクライナの政治経済を専門にしている大学教授、軍事研究の専門家などが盛んに論評し、テレビではニュース報道の他に特集番組がいくつも組まれた。
 私はそれらの番組を比較的熱心に見た方である。もちろん新聞に該当記事が載っていればなるべく目を通した。2014年のクリミア併合についてのドキュメンタリー番組なども再放送され、ロシアとウクライナの歴史的な関係を改めておさらいしていた。
 そういった番組の中に登場してコメントするいろいろな立場の人物を観察していて私なりに感じたことがある。軍事の専門家は手堅くかつ冷静に状況を説明する。予想される事態の進展についても、なるべく中立的な立場に徹してコメントしようと努めている。
 ロシアとウクライナの関係を専門にしている政治学者も、過去の事例や現在の双方の政治状況を持ち出してきてコメントしていた。しかしこれには偏りが感じられた。中立的に述べようとしていても、心情的には侵攻されたウクライナ寄りの発言内容となる。視聴者は判官贔屓なところがあるから、その心情にいくらか沿うような論評をしないとやはり受けがよくない。これは仕方のないことだろう。
 さて問題は西洋史、とりわけヨーロッパ全般の歴史を専門とする学者の諭評である。歴史の教訓みたいなものをすぐに持ち出してくる。古代ギリシャとか古代ローマの時代のことにすぐ言及したがる。、あるいはそれ以外の大国の為政者の戦略とか語録などを紹介し、参考になるのではないかと関連づけて発言するものがあった。
 私はそこら辺りにすごく違和感を持った。歴史の有用性、応用性が鼻につくのである。無理筋で共通性を見出そうとする訳である。歴史の教訓を言いたいのだろう。
 一体、過去の歴史というものはどれくらい役に立つというのか。今後、AIに何でも頼るほかない時代が到来するだろう。AIが無い時代と有る時代とでは、古代と近代(現代)ほどの違いが出てくるのではないか。時代の隔たりを感じたら、古いものの考え方は一気にカビが生えたものになってくる。勿論あまり役に立たない。
 私は歴史が好きで、世界史でも日本史でもそういったテレビ番組はよく視聴する方である。しかし歴史を学んで役に立つと思ったことはほとんどない。単に歴史にロマンを感じて好きなのである。ただそれだけである。歴史上の人物の偉大さもおもしろさもどこまで事実なのか分からないが、有用性や応用性の次元まで関連づける気にはならない。
 ウクライナ侵攻についての特集番組をいくつも観ていて、歴史学者の歴史に基づく発言は、いつも刺身のつま程度のものにしか思えなかった。

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