痴呆症が認知症と名称変更された2004年頃には、その症状の一つである徘徊という言葉もかなり普及されていたと記憶する。つまりこの言葉で、行ったり来たりうろつくことは認知症患者を特徴づけるものの一つとなっていた。だから、患者ではない健常者がそういう行動を取る場合には、徘徊するとは言わなくなった。徘徊イコール認知症患者の行動パターンという認識になってきた訳である。
当時の私は「徘徊」より「彷徨」の方が言葉として相応しいのではないかと思った。「彷徨(さまよ)う」という意味合いを考えると、「徘徊」より「彷徨」の方がピッタリではないか、そう感じていたのである。
しかし、世の中は「徘徊」ですんなり定着していった。ネット検索すると、「徘徊」と「彷徨」の両者の違いは行ったり来たりする範囲の広さにあると説明している用語解説に出くわした。後者の方がどちらかというと地理的に広範囲をさすということらしい。うーん、これはどうかな? 認知症患者の徘徊でも、徘徊できるほどの患者なら足腰はまだしっかりしている。実際に行方不明になった患者を捜し出すと、とんでもないところで発見され、よくここまで歩いて来たなと感心するようなことが間々ある。
さらにPC画面を弄っていると、愛知県大府市のHPに、こんな記事が載っていた。少し長いが引用する(記号や書体は引用者によるもの)。
<大府市では「徘徊(はいかい)」という言葉を使用しません>
近年、認知症の方が一人で外出し道に迷うことなどを「徘徊」と表現することを改める動きが全国的に広がっており、本市でも行政文書や事業名等に用いる表現の見直しを進めてきました。
平成29年12月に制定しました「大府市認知症に対する不安のないまちづくり推進条例」を機に、行政内部では「徘徊」という表現を使用しないことといたしました。
今後は行政内部だけではなく、市民や関係機関の皆さまにも見直しを呼び掛け、認知症に対する正しい理解のさらなる普及を進めてまいります。
[ 言い換えの趣旨・方針 ]
「徘徊」という言葉には、「目的もなく、うろうろと歩きまわること」という意味がありますが、認知症の方の外出の多くはご本人なりの目的や理由があるとされています。
「徘徊」という表現は、そうした認知症の方の外出の実態にそぐわないことや、「認知症になると何も分からなくなる」、「認知症の方の外出は危険」といった誤解や偏見につながる恐れがあります。
本市では、ご本人の気持ちを尊重するとともに、認知症の方を介護するご家族の気持ちにも配慮し、法令等に定める場合を除き、「徘徊」という表現は原則使用せず、伝えたい内容に応じて最もふさわしい表現で言い換えることとしました。
あわせて、単なる言葉の言い換えにとどまらず、その趣旨を広く市民や関係機関へ伝えながら、認知症の方の行動の背景にあるご本人の気持ちや目的を正しく理解することが大切であることを呼びかけていきます。
[ 言い換え表現の例 ]
言い換え表現の例について、以下のとおり予定しています。
表記:「従前の表現」 → 「言い換えの例」
・「徘徊」「徘徊する」「徘徊中の事故」
→ 「ひとり歩き」「外出中に行方不明になる」「ひとり歩き中の事故」等
・「徘徊高齢者」
→ 「ひとり歩き高齢者」または「行方不明のなる恐れのある認知症高齢者」等
・「認知症徘徊捜索模擬訓練」 → 「認知症行方不明者捜索模擬訓練」
・「徘徊高齢者家族支援サービス」 → 「認知症高齢者見守り・捜索支援サービス」
※上記は一例です。認知症の方の状況を最も適切に伝える表現をとることとしますが、ふさわしい表現がない場合は、「ひとり歩き」への言い換えで統一します。
以上の文章を読み進めながら、私の頭の中でもやもやしていた違和感がスッキリ解消していく手応えを感じた。認知症患者の徘徊は徘徊ではない。とんでもない場所まで歩いて行くのは徘徊ではない。認知機能が低下していたとしても、当人が自分なりの考えや判断によって歩き回るのである。これは徘徊とは違うだろう。標準化された用語が誤解や偏見を助長する事例の典型と言えるかもしれない。徘徊の元来の意味に立ち戻って、運動不足の健常者も徘徊して足腰を鍛えたらどうか。脳の活性化にもつながることだろう。
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いつも、朝一番で読ませて頂いています(AM5時頃)朝なので色々なルーティンがあり、長文の時は気が焦ります、広島でお逢いした時は少し「話しが噛み合いません」でしたが・・色々な考えの人が居て・・ウイングの広い「川柳界」が形成されます。 いつまでもお元気で・・・・。
信ちゃんさん、ありがとうございます。
ウイングを広げられるように頑張ります。