3月31日付けの読売新聞朝刊のコラム「広角多角」(10面)に「刑務所の先生 社会常識とズレ」という見出しの記事が載っていた。受刑者への暴行や暴言などの事件を引き起こした刑務所の問題に対して、法務省は「組織風土の改革」としていろいろな見直しを試みている。受刑者を呼び捨てにする慣行が廃止された話しは承知していたが、刑務官を先生と呼ばせるやり方も止めるようにしたという話題を記事は載せていた。
そんなことがあるとは知らなかったと、執筆した記者(石浜友理さん)も驚いていたが、私も同感だった。
先生と呼ぶのは、呼ぶ方と呼ばれる方の間に対等ではない上下関係(それは立場上の力関係でもある)があるから、そうなるのだろう。「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」という諺だか川柳だかよく分からないような五七五の言い回しがあるが、先生という存在をうまく揶揄している。上下の関係が時によっては逆転する面白さをうまく五七五に言い表している。
医者や弁護士、学校の教師などは、患者やクライアント、学生・児童生徒とは立場が違う。そういう意味で先生と呼ぶこと、呼ばれることに躊躇いはあまりない。政治家になると週刊誌などで「センセイ」などと片仮名表記され、権力者を茶化すような意味合いが込められる場合が多い。
対等ではない関係というのは決して悪い意味ではない。権限(権力)を持っている者が、それを悪用・濫用しなければいいだけの話しで、例えば、学校の先生が生徒を指導する際に威張り捲くっていたら、これは当然非難される。医者でも弁護士でもその技能の使い方が適切であれば問題ない。政治家は技能がある訳ではなく、どちらかというと権力の行使が上手く出来ない輩が多いので「センセイ」と軽んじたくなる訳だろう。
私は医科大学に勤務していて、附属病院の医療職の方とも仕事上の付き合いがあった。その中で、薬剤師がお互いを先生呼ばわりしているのに驚いたことがある。学校の教師同士が先生呼ばわりすることは不自然に感じられない。常に生徒と接していてそう呼ばれていれば、生徒目線と同じように教師同士がそう呼ぶことは、慣習として充分納得できる。しかし、患者とあまり接していない職種の薬剤師が仲間同士で先生呼ばわりするとは思いも寄らなかった。決して薬剤師を決して悪く言っているつもりはない。しかし違和感は拭いきれない。医療行為の中に薬剤師の服薬指導というのが始まって診療報酬として認められ、病院内で患者と接することが多くなったが、業務としてはまだメインのものではない。
ちなみに看護師は、医者とは違った角度で患者を看るので、先生呼ばわりしたらかえって不自然な感じになる。「診る」と「看る」にははっきりとした違いを感じ取れる。他の医療職では、リハビリの療法士を患者が先生と呼ぶのも自然なことであろう。療法士の指導のおかげで回復できたことをありがたく実感すれば当然のことなのかもしれない。
薬剤師の方が拙文を読んで気を悪くしたら申し訳ない。悪意は全くない。私は薬剤師の業務を尊敬しています。
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