30数年前に日本を襲ったバブル経済というのは、今から振り返ってみても実にバカバカしい現象を巻き起こしたものである。民間の不動産屋や金融業のみならず、営利を追求しない公的な団体にまで影響が及んで、おかしな振る舞いがまかり通っていた。そしてバブルが破裂してもその余波はしばらく残っていた。
その頃の私は、ある公益的な団体で公的な資金(税金みたいようなもの)を取り扱う仕事に何年か従事していた。地方公共団体から交付される公金を預かって別の公的な事業所などへさらに再交付する業務である。お金を右から左へ流すだけの仕事であるが、一度私の勤務する団体を通過する。ただそれだけなのだが、通過中は銀行に定期預金として一旦預けておくので、その期間(半年や1年程度)だけでも当時はそれなりの利息(「果実」と言っていた)が付いた。それを有り難く受け取って、事務費用として使ったり、さらにいくつかの事業を企画してそれに回したりした。これらに携わった担当の一人として、関係機関への接待(飲食い)という職務があった。
この接待が、当時の私でも実にアホくさく見えるものだった。民間会社なら、取引業者との接待はある意味で当然の慣行であり大切な仕事であろう。そういうことで会社の業績や命運、さらに自分の給与や出世が左右される訳だから重要な任務である。しかし公金を動かすというのは法律に基づいた制度的なものなので、改まって交付してくれる関係者を接待してもしなくても全く関係はない。粛々と公金を取り扱えばいいだけのことである。お金は必ず振り込まれて交付される。
ところがバブルの時代である。飲み食いのお金に集(たか)る風習というのは、役所でも民間企業でも変わらない。飲み食いだけでなく綺麗なお姉さんたち(コンパニオン)にお酌してもらって酔うお酒の味も格別である。バブルが弾けても、その風習の名残はしつこく続いていた。
毎年開かれる接待の切り盛りは私の上司がやっていた。当時まだ三十代半ばの私はその補佐を担当していた。ある年のこと、既に何度か経験しているが、その時期がいつものようにやって来た。出世欲の強いその上司は張り切っていた。織田信長の草鞋を温めていた木下藤吉郎みたいな、抜け目ない性格の男であるが、お酒は一滴も飲めない。
いつものホテルの宴会場を予約し、コンパニオンの手配も信頼できる派遣業者に依頼していた。出席メンバーは、先方の団体が幹部数名、その部下(随行者)が同じような人数。迎える方の私たちも上層部のそれなりの人間が揃う。合計はいつものように20数名になっただろうか。
ここで私のつまらぬ持論を開陳する。宴会はどういう趣旨のどんなスタイルのものであれ、みんな分け隔てなく飲んで食べ、そして和やかに一時を過ごすのが一番いいのだ。たとえそれが仕事の一環であろうと楽しい時間でなければ、もてなされる方ももてなす方もつまらない。それが当時の私が密かに思っているモットーだった。だからお偉い方がたくさん集まっている中で、仕事で参加している末席の私でも、いろいろな手配や気配りをしながらも酌をされたら素直に受けて飲み干し、出てきた料理も粗末にせずきちんと食べ終える。もちろん談笑の輪に入って盛り上げることも怠らない。
その日もいつもどおり賑やかに盛り上がっていた。しかし上司から、そろそろ時間だから帰りのタクシーを呼べと指示された。宴は1時間をちょっと過ぎただけでまだ和気藹々と続いている。興を殺ぐやり方である。私も少々(?)酔っている。分かりましたと言いながら、自分なりにまだ早いと判断し、動こうとせず手配もしなかった。これに気づいた上司は、こんな部下に言っても埒が明かないと自分でホテルの仲居に直接依頼した。酔っていた私をここできつく注意しても仕方がないと思ったのか、その時には何も言われなかった。
いよいよタクシーが数台用意され、玄関先に横づけされて待っている。ようやく宴も終わりとなった。順次お見送りするのだが、帰りがけには手土産の菓子折りを一人ずつ渡す段取りになっていた。幹部とその部下の人数分はきちんと用意してある。
ところがである。靴を履いている一人ひとりに上司や私がその菓子折りを分担して手渡しながらも、1名分が余ってしまった。困った事態である。すべて見送ってから名簿で確認すると、渡し損ねた該当者が誰だか判明した。随行者の1人だった。
ここで下戸の上司のテンションが急に上がり出した。私に向かって「何をやってんだ、お前が悪い。明日出勤前に相手先へ訪問して渡さなかった該当者に会ってお詫びをし、菓子折りをちゃんと手渡してこい」と厳命したのである。うわっ、めんどうくせえなぁ、と私は思ったが、しっかり(?)酔っている。まっ、いいかと、残った一つの菓子折りを取り敢えず受け取った。
その後は、いつも仲間内でやっている、無事接待が終わったことへのご苦労さん会である。すぐに家へは帰らない。有志で近くのナイトクラブみたいなところへ行くことになった(もちろん公費である)。酒を飲めない上司は、愛想を振り撒いてかなりのお疲れだったようでそのまま帰宅した。クラブでお互いを労いながら飲み直していると、職場の少し酒癖の悪い先輩方が数名来ていることが分かり、座席を移動して合流することになった。
バカげた話しで盛り上がっていると、先輩の1人が、私の持って来た菓子折りの紙袋に気がついた。なんでそんな物を持ち歩いているのだと訊かれ、こういう訳で明日の朝届けなければならならなくなった、と説明した。すると、酔った勢いもあるのだろうが、先輩はいきなり菓子折りの包装紙を剥がした。箱の中を開けて「なんだ饅頭か。こんなどこにもあるようなものをわざわざ届けたって相手は有り難がらねえぞ!」と言い放ち、いきなりむしゃむしゃ食べ始めたのである。それにつられてみんなが手を出し、和菓子の詰め合わせはすべてなくなった。あっという間の展開に私は慌てる時間もなかった。
一番酒癖の悪い先輩に「あんなゴマすり男の言う命令なんてまともに聞くな。届けたことにして惚(とぼ)けちまえばいい。それでバレるようなことはないだろ」と諭された。ウイスキーの水割りを飲みながら、確かにそのとおりだと私も思った。私も内心、こんな珍しくもないものを受け取ったって大して喜ぶまいと感じていたのである。一人渡し損ねたからといって、俺はもらえなかったと僻む訳でもなかろう。その後は、ホステスさんたちと楽しく飲んで騒いで午前様の帰宅だった。
翌日は芝居を打った。わざと遅刻して出勤し、先方の職場へ回って菓子折りはきちんと届けて来ましたと大噓をついた。上司は簡潔に、分かったとだけ答えた。これで何とか誤魔化せた。一件落着。今から振り返って、私も若かったなぁとしみじみ感じる。
そして、このくだらない接待はこの年で終わりとなった。上層部の人事異動があり、そんなものは意味がないから止めちまえ、と鶴の一声が発せられたのである。その後の失われた10年、20年、30年の移ろいの中で緊縮財政となり、私の勤務する団体の接待やただ酒などは急速に萎んでいった。
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