能登地震が元日に発生し、これに衝撃を受けた川柳がいくつも詠まれている。新聞柳壇で時事川柳の選を担当しているので、同想句・類想句をたくさん目にする。各吟社の例会などでも盛んに詠まれていることだろう。
こういう甚大な災害や驚愕の事件・事故に出遭えば、当たり前のことだが、当事者かそうでないか(第三者、局外者)の立場がはっきり分かれる。今回の地震のような場合には、元日というめでたい気分の中での突然の被災である。現地の当事者は言葉にもならない悲しみに襲われたことだろう。当事者以外は、テレビや新聞、インターネットで情報に接して驚き、そして慨嘆する。そして双方とも時間が経過するにつれ、自己の思いや感情が句として言葉に昇華できるようになってくる。
前者にはかなり長い時間が必要になるかもしれない。気をつけるべきは後者の立場の詠み方である。テレビやスマホの画面越しに状況を把握しただけで、その悲惨さをあたかも当事者のようにして詠むことは不謹慎である。もちろん控えるべきである。被災者がそういった作品を目にしたらあまりいい気持ちがしないだろう。それを踏まえて、少しは時間をおくべきである。すぐ詠もうとするなら、画面越しでしか憐憫の情を持てない、伝えられないもどかしさを詠んでもらいものである。
大きな事件や事故が起きると、いち早くこれを題材にして句を詠もうとする人がいるが、こういったケースでは、限られた情報だけで自分の思いを五七五に入れ込むには注意が必要である。コタツ記事という言葉がある。現地へ赴かず、ネット情報だけでジャーナリストが書く記事のことであるが、コタツ川柳もあるだろう。安直に詠んではいけないのである。そんなことばかりしていたら、川柳のおもしろさが世間から軽く見られるだけであろう。
川柳の特徴である三要素、可笑しみ・軽み・穿ちはそれぞれ両刃の剣だと思っている。物事を浅はかに可笑しむ。軽くあしらう。的を射てない穿ち方をする。こういった作品に出遭うと実にがっかりする。川柳が他の文芸より格下に見られる原因がここにあるような気がする。
川柳として対象を深く詠み込もうとするなら、常に冷静で慎重な態度をとるべきであろう。もちろん丁寧に情報を集め、じっくり時間をかけて詠むことも大切である。コタツ川柳はやってはならないものとしてまず戒めなければいけない。
これからの能登は毎年元日が命日になる。これに思いを馳せるのも川柳である。
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