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 川柳において、特定の政党だけを偏って支持したり、身も蓋もない言い方で政治の現状をこき下ろしたりする詠み方はひどく興醒めするものである。いろいろ批判されても、与野党を問わず政治家は日本と世界のために頑張っている方がほとんどであろう。どぎつい議論は居酒屋でやってもらいたい。そしてそれらは川柳として詠まれて欲しくない。
 欧米のみならず、いやアジアやアフリカ諸国の政治情勢を新聞やニュースなどで眺めると、ここまで過激にやるのか、日本はやはり違うなぁ、という思いをいつも抱く。日本の政治は、お国が民のために政(まつりのごと)をやっている上から目線感がどうしても否めない。自由主義とか民主主義とか、いろいろと口当たりのいい言葉を並べても、今の日本の政治についての概念や諸制度は所詮欧米から輸入して翻案されたものであり、江戸時代までの政に対する意識が完全に消えてなくなってしまった訳ではない。
 そういった変遷を踏まえて言えば、時事川柳を詠むなら、軽く揶揄する程度のスタンスが望ましい。読んで味わう方も深入りはしない。詠む方も読む方も、軽みをベースに句と向き合う。半分は本気かもしれないが、残りは風刺や皮肉でいい。すべてを本気で詠もう、読もうとしたら面白さが吹っ飛んでしまう。川柳は真剣勝負ではない。そんな態度では句の妙味は成り立たない。
 わざわざ述べるまでのことではないかもしれないが、時事川柳の神髄は諧謔精神である。これは誹風柳多留の頃から脈々と続いている。これが消えてしまったら重たくて晦渋な五七五しか残らない。そうなると、短詩型好きの一般市民からは疎まれ、更にマイナーな文学に転落することだろう。

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