ハガキが63円から85円へ、定型封書が84円(25g以下)から110円へと一気に郵便料金が値上がりするようである。大胆なやり方である。eメールやSNSの普及・浸透に押され、郵便物取扱い件数の減少による業績の悪化はどうにも止まらないものなのだろう。郵便事業はどう考えても負のスパイラルに陥っていると言える。将来展望も難しいことだろう。
かつての手書きのハガキや手紙には、送る方も送られる方もそれなりのときめきが付くものが多かった。年賀状なども、たくさんの枚数のやりとりをしている中にときめくものものが混じっていた。
若い頃は、毎年元旦に届く年賀状が待ち遠しく思えた時期もあった。それが齢を重ねていくと、書いて出すことを次第に億劫がって義務感みたいなものを感じ始める。嬉しいような面倒くさいような、つまりアンビバレントを感じるような対象物に思えてくる。12月に入って取りかかるパソコンで作成して大量プリントする作業が、実に憂鬱なものになる。しかし、もらう立場でのときめきはすべて消えてしまったのかというと、決してそういうことでもない。身勝手な期待感が残っている。ここらあたりを踏まえると、年賀状とは実に厄介な存在でもある。
結婚したいと思い続けている人や、なかなか子供が出来ない夫婦が、「結婚しました」や「子供が生まれました」などの報告も兼ねた幸せ感いっぱいの年賀状を受け取った場合の複雑な心理はどうにもならないものがある。しかし、だからどうすべきかの議論にはなかなかならない。他人の幸福へ意見することは野暮にも思えて躊躇われる。
ハガキの宛名と新春を寿ぐ紋切り型の文面の両面ともが完全に印刷されていて、手書きの添え書きが全く見当たらない、単に機械的に作成して送って来ただけの年賀状を受け取った時は、有難みを持て余す変な困惑感を抱く。送って来た相手の心がどこにこもっているのかと思い巡らすことすら意味のない代物なのである。
もう面倒くさいから止めちまえ!と方向転換することも出来なくはないが、長年の習性とは恐ろしいもので、そう簡単に決心がつく訳ではない。年賀状に代えて元旦にeメールやLINEなどで新年の挨拶を一斉に送る人もいるようであるが、あまり定着しているとは思えない。若い年代ほどSNSを使っているようであるが、私などの年齢になると、そんなことをする気はほとんど起こらない。
75歳の後期高齢者になる頃、さらに80歳になる頃に年賀状のやりとりを止める、いわゆる賀状じまいをされる方は意外と多い。取り敢えずそれらの年齢は節目になるのだろう。しかし、ずるずる引っ張り続けて、なおも書き続けている人もいなくはない。
繰り返すが、年賀状とは身近にあるものの中で厄介に感じる典型的な一つに該当するだろう。厄介さにはアンビバレントな感情も含まれているから、すっぱりと止めてしまうということがなかなか出来ないのだ。
私が毎年出す年賀状は少しずつ枚数が減ってきているが、去年は14枚書いた。現役で働いていた頃は最多で100枚くらいは印刷して出していただろうか。もうそんなことで見栄を張るような年齢ではなくなった。10数枚の年賀状を書いて出すくらいなら、大した労力を使う訳ではないので、アンビバレントはかなり収まっている。年賀状の絵面をパソコンから無料ダウンロードしてプリントし、手書きであて名を書いては添え書きを一言入れる。これらの作業はいつも淡々とやっている。今年の年末もおそらくそのように作業することだろう。枚数は更に減っているだろうが…。
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