以前「日本酒との付き合い方 | 三上博史ブログ (shinyokan.jp)2022年9月9日」という文章を書いたが、今更ながら白状すれば、若い頃は適量を弁えず飲み過ぎて吐いたり、翌日に頭が痛かったりと、そんな酒飲みスタイル(やや依存症?)を懲りることなく繰り返していた。
適量を弁えないというのは、例えばスナックなどで水割りウイスキーのグラスを傾けながら、これ以上飲んだら明日はヤバいのではないかということが、一応は頭の中で過る。しかし心の箍が既に相当緩んでいるので、まっ、今夜だけはいいだろうと悪魔の囁きに唆されて飲み続けてしまう。そしてその後トイレで吐いたり、吐かなくても翌日がいつもどおり仕事のある平日だというのに二日酔いになったりと、こういったことを繰り返していた。植木等の「♪分かっちゃいるけど やめられねえ」のスーダラ節の世界である。とにかく若かった。
40歳前後になって、酒の飲み方を見直すような気持ちに自然となってきた。今日は少し抑えて飲むかと予め決めていた場合、例えばビールしか飲まない。それ以上のもの、例えば口当たりのいい冷や酒に手を出すようなことは控える。こういうセルフコントロールする態度が身につくようになった。
一応養うべき子供のいる身である。年齢的にももう若くなくなってきているのだ。無茶をし続けたら今後いずれしっぺ返しが必ず来るだろう。だからもう気張って飲まない。そんな守りの姿勢がとれるようになった。自分の適量をようやく覚えたということである。そうすると胃薬とのお付き合いも自ずと少しずつ減ってくる。
齢を重ねても1年365日、欠かさず酒を飲む人は結構いるだろう。休肝日について言えば、若い時分にはやはり私もそれがなかなか習慣に出来なかった。しかし、意外なところでこの習慣が簡単に身についた。それは、前日の夕食時に酒を飲まないと翌日の自分の体がいくらか軽いと感じられる(おそらく気持ちの所為もあるだろうが)ことに気がついたからである。これはタバコを止めた時も同じだった。飲まない、吸わないことのメリットに気がいたら、それは案外スムーズに習慣とすることが出来る。言い換えれば、メリットを享受できないと、自分に言い訳しながらなかなか止められずそれに依存した状況がしつこく続くのであろう。
これからさらに老いていけば、飲む酒の量も少しずつ減っていくことだろう。それは素直に覚悟している。そしていずれは酒を一切口にしない年齢を迎えてしまうのだろうか。その時の一日の楽しみは何になっているのだろう。現段階(66歳)ではあまりそのことは想像したくない。
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酒飲みの話、大好きです。通じるものが必ずある。私72歳博史さんと同じく一年365日飲んでいる。これは健康のバロメータ。欲しくない日がある、が少しは飲む。次の日はほぼ快調でまた適量呑む。コロナで外飲みしなくなって馬鹿のみは出来なくなった。わかったことは喋らなければ飲めないと言うことです。店に行けばママもいるし姉ちゃんもいる。歌も歌うで最後はへべれけ。
自分の事は人(妻)から言われて直したくない。家飲みでへべれけになることはまずない。今は適量がわかってきた。付き合いのある牛飼いから貰うレモンでハイボールに嵌ってしまって今は毎日ハイボール3杯で決まりです。女房が機嫌悪い時は4杯かな。
博史さんとは「添削から学ぶ川柳上達法」でお世話になり他人とは思っていません。句会誌の川柳クリニックに毎月博史さんの本を参考にしています。
博史さんはのん兵衛だろうと思っていましたが当たりでした。
今後コメントするかもしれませんがよろしくお願いします。
直井 哲生ですが「かけの大」でお願いします。
「かけの大」さん、ありがとうございます。
お互い、酒を飲んで酒に飲まれるところがありそうですね(笑)。
拙著を読んでいただき、ありがとうございます。
「川柳の神様Ⅲ」がいよいよ上梓されます。ネットや書店の流通に乗るのは、少し時間がかかると思いますが、よろしかったら読んでやってください。