栃木県の公的な文芸コンクールの川柳部門で審査員を2年務めていた。複数の審査員がいる中で選評を書く担当でもあったので私が事実上の仕切り役であり、審査結果発表後の講評会でも主体的に進行役を担った。
さて、この役目は3年間という不文律があった。この方式はなかなかいいもので、他のジャンルでは何十年も同じ人物が審査員を続けていて、いわゆる長老支配の弊害が出ていたのである。
今年は3年目で私の選評の執筆担当もこれでお役御免かと思っていたら、今年は何故か私だけ担当を外された。どうも栃木県柳壇の長老連中が私を快く思っていないようなのである。
実は以前にこんな事態になるような予感・予兆があった。一昨年に久しぶりに開催された日川協の東日本常任幹事会の後の懇親会の席で、栃木県で活動しているある常任幹事が私のところへ寄って来て、私がその年の夏に日川協理事になったのは誰の推挙なのかと頻りに訊いてきた。栃木県内の某柳壇長老へなぜ理事就任の報告・挨拶をしないのかとも言われた。
その茶坊主みたいな常任幹事に、私を理事に推挙してくれた方の名前を話さなければならない道理は全くない。私とその方の関係でそうなったのであり、それが理事会で承認されたまでのことである。その某長老については、そもそもほとんど面識がない。大会などでお会いしても挨拶して立ち話するような機会もなかった。大体において私はあまり川柳大会には参加していない。10数年前から遠ざかっている。私の理事就任と栃木県柳壇とは全く関係のない話しなのである。日川協に加盟している栃木県内吟社の代表が常任幹事や理事に就任するなら、某長老の所へ挨拶に行くべきかもしれない。私が理事の前段階の常任幹事を委嘱されたのもあくまで個人的なこと(個人会員)なのだ。
しかし私と親子ほど年が離れている長老たちには、私という若造(?)が生意気で気に食わない存在なのであろう。40年近くサラリーマンとして宮仕えしてきて、組織の中で働く息苦しさを嫌というほど散々味わってきた。上司や同僚・部下とも不器用に付き合ってきたところがある(だからあまり出世しなかった(笑))。定年後の川柳という趣味の世界においては自由にかつ気楽に行動したい。年上の人に対して、人生の先輩として敬意を表することは当たり前の礼儀として心得ているつもりだ。しかし、年上だからと言って今更気を遣うようなことは絶対にしたくない。趣味の世界ではみな対等なのである。
川柳六大家の一人である前田雀郎を輩出したと言っても、栃木の川柳はこんなレベルの井の中の蛙みたいな連中が多いのである。
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私は詩を書いていますが、栃木県詩壇も全く同じ状況だと思います。「出る杭は打たれる」……で、打たれながら詩を書いてきました。ですが、その続きがあって「出過ぎた杭は引き抜かれる」……三上さんはその続きの部分ですね。
「井の中の蛙 大海を知らず」にも続きがあることご存じでしょうか?「井の中の蛙 大海を知らず されど天の高さを知る」
神山さん、ありがとうございます。
「天の高さ」は承知しております。天のように高く志だけは堅持していくつもりです。