就職試験(就職活動)とは自分の人生を決めてしまう一大事なのだろうか。バブルがはじけて超氷河期とか言われるような平成の時代になり、就活などという略語が生まれた。その後にリーマンショックもあった。働き口を探すという行動(活動)は大変なことなのだという認識が改めて浸透したのである。
私などのように若い頃から、働くこと、働いてお金をたくさん稼ぐ(いい暮らしをする)ことにさほど興味がない人間でも、昭和時代の大学生の頃にそれなりの就職活動をやったものだった。今のようにエントリーシートを何十枚(何百枚という人もいるかな)も提出するようなことはなかったが、そこそこの数の企業を訪問した。筆記や面接の試験も受けた。
筆記試験は大体通った記憶がある。問題はその後の面接である。これがからきし駄目だった。理由はホンネをすぐ吐いてしまうからである。やる気を見せられない。だってその会社へ入って頑張ろうとするとする意欲が端から湧かないんだもの仕方がない。それでも一応はそれなりに悩んだ。本屋の立ち読みで面接試験攻略法みたいな本を読んだこともある。
いろいろ考えた末に出した自分なりの結論は、適当に噓をつけばいい(誤魔化せばいい)ということだった。私の場合、それが当初なかなか受け入れられず発言できなかっただけなのである。開き直れば自分を売り込むPRは何とかできる。噓は見抜かれるリスクが高いが、頭の中で辻褄合わせだけは前もってよく考えておけばいいのだ。
そんなこんなの私なりの作戦でとりあえずは就職できた。給料は安かったが当初から不満はなかった。高い給料はきつい仕事に決まっている。あまり働きたくない私にはそれは似合わない。その思い込みは間違いではなかったと、現在高齢者になった今でも正しいと思っている。まっ、極楽とんぼみたいな性格の人間なのである。
さて、面接試験とは一体何なのだろうか? 人が人を評価するとはどういうことなのだろう。こんな素朴な疑問は、もう今の世の中では既に吹き飛んでしまっていることだろうが、昭和の頃はこの疑問が生きていたのである。
面接の結果でその後の人生、運命が決まってしまう。そう考え込むことは強ち間違いではないのだろうが、だからと言ってたかが面接なのである。限られた時間の中での言葉のやりとりで自分という人間が品定めされるなんて、どこかおかしい。一体この俺のどこが、何が分かったというのか。そう思いたくもなる。でもそんな素朴で古典的な思考は、昭和が終われば完全な時代遅れになっている。うーん、しかし今でも私の頭の隅にはこんな考えがなおもしぶとくこびり付いている。
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