デジタル化社会となって、指先を器用に使いこなせればあらゆる情報がいとも簡単に入手できるようになった。併せてペーパーレス化も同時に進行している。しかし人間の指先の感覚は逆に退化し始めているのではないかと私は感じている。
一昔前までは、指先でパチパチ音を立てながらはじく算盤で何でも計算していた。本のページを捲るのも指先を使った。ものを書く時は必ず指でペンを握った。
これらはすべて時代遅れのものにされようとしている。将来的にはすべて消えてしまうのだろうか。
私は小学生の頃に算盤塾へ通っていたが、珠(たま)をはじく人差し指と親指の微妙な緊張感が懐かしい。算盤にも相性と機嫌があったようで、うまく扱わないと正しい計算ができないようなところがあった。
何を書くにも手書きだった頃、毛筆や万年筆を執れば必ずちょっとした緊張感が腕から手へと走った。いや、知らない言葉を調べるために辞書を捲る時だって、少しは指先が緊張しながら調べたい単語を探し出そうとしたものだった。
私の場合、言葉の意味を知ろうと国語辞書を引っ張り出してページを捲る際には、たまに変な浮気心が芽生えてくる。捲りながら他の単語が思わず目に入ってくるとそれが気になってそっちの方の意味や説明を丁寧に読んだり、そこから派生してさらに別の単語のことも思いついて、わざわざの別のページを捲ってそれを調べたりすることがある。この浮気を何度も繰り返してから、たかが一冊の辞書からそもそも俺は一体何を調べようとしていたのかと急に思い出し、辞書を取り出してひくきっかけとなったそもそもの言葉に慌てて立ち戻る。そんな道草、ダッチロールも読書の際の楽しいひと時だった。
そういったアナログ的な緊張感、神経の擦り減らし方がデジタル的なそれらにすべて変わってくる。電卓のテンキーはスムーズに使いこなせるが掛け算九九が出来なくなる。漢字は読めるが手書きでは満足に書けない。出来ることはキーを打つか画面をタップするだけ。しかし指先から脳への微妙な刺激には侮れないものがある。カードや電子マネーなどのキャッシュレス化が浸透しているが、お札や小銭を指先で数えることだけでも、脳の活性化や呆け防止につながっているだろう。これらは老化を食い止めていたのだ。
先日パソコンを買い換えた時、保存していたメールの連絡先データを誤って操作したワンクリックですべて削除してしまった。まさか消えると思っていなかった。完全にデータがなくなってしまうと表示箇所を安易に押してしまったのだ。それに気がついた時は後の祭り。かなり焦ったが既に遅し。回復させようと何度も操作を試みたが無理。その夜は寝つきが悪かった。翌日気持ちを新たにしてすべてのデータは入れ直しとなった。このストレスは今の社会ではどうにもならないものだが、案外誰でも経験することであろう。アナログ時代では全く想像できない恐怖体験である。
ピアノを弾く人は認知症になりにくいという話しを聞いたことがある。どれだけの予防効果があるのだろう。私は50代になってからパソコンのキーボードの誤入力が多くなってきた。視力だけでなく指先の感覚も確実に老化して鈍くなっている。思えば、人差し指を舌で舐めて資料などの隅を捲り始めるのは40代の頃からだったろうか。60代になってスマホを弄り始めたが、若者のようには滑らかに親指でタップすることは既に不可能である。その若者だって何十年か先に高齢者と呼ばれるようになったら、私と同じような危うい画面操作をしていることだろう。
近未来は音声入力機能が主体になっているかもしれない。でも画面の前で独り言のように話すのはいささか照れくさそうである。とりあえずコロナ騒ぎのせいで、エレベーターの操作ボタンがタッチレスになるくらいのことはもっと普及するだろう。
遠い未来は以心伝心、心で思ったことが電子機器に通じるような超常現象的な世界になっているかもしれない。これは強ち夢物語ではないとも言えるか。もしそんな世の中になってしまったら、人間の指先は完全に退化して筋力も衰え、細く短くなっていることだろう。さらに5本指のうち1本ぐらいは不要となって減っているか(笑)。
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